12月 30

恋人たち

「恋人たち」を観ました。

評価:★★★★

「ぐるりのこと。」の橋口亮輔監督が描くのは心に傷を抱えた3人の男女の物語。本作の捉え方というのは、人によって様々でしょうが、僕は”喪失”を扱った作品ではないかと感じます。主として描かれる架橋の保守点検工・篠塚は最愛の恋人を通り魔に殺されている。ややサブ的な立場で描かれる主婦・瞳子は自分のことに関心を持ってくれない夫と姑の間に自分を見失い、ゲイの弁護士・四ノ宮は学生時代から想い続けているノンケの友人に悶々とした毎日を送っている。皆がそれぞれに大事なものをもっていて、それをいろんな瞬間に壊され、茫然自失の状態(”喪失した状態”)から這い上がろうともがき苦しむ様を冷徹に、それと合わせた温かみとともに描いていく作品となっています。

人は誰しも、いつか死ぬ。その当たり前の事実の中で、漫然と過ぎる毎日をやり過ごさねばならない。ある有名人が「人生とは、大いなる暇つぶしだ」といいましたが、僕はこれはある意味すごく的を得た名言だと思います。もちろん、毎日皆何か仕事をし、何かを学び、何かを慈しみながら生きている。もっと現実的には衣食住を満足し、更に、その上にいろんな欲を満たすために生きている。でも、最終的に死ぬ瞬間には、お金でも、名誉でも、愛情でも、何も持っていくことはできない。そんな毎日を人はなぜ生きるのだろうか? 哲学的な議論にはしないまでも、そんな現実の中で、人は生きることに意味をそれぞれが見出しながら、同じゴールに向かって走っているのです。じゃあ、その中でその生きる意味を失ったらどうだろうか? 毎日コツコツと小さくまでも見出してきた幸せ、あるいは運命的に手に入れた幸せ、それをある瞬間に問答無用に奪われたらどうなってしまうだろう。本作は、残酷なまでにその奪われる瞬間を描き、そこから再生していく様を描き切った作品となっているのです。

「幸せが音と立てて崩れる」という慣用句がありますが、それぞれのキャラクターが迎える、その瞬間の演技がすごく味わい深いものになっています。篠塚の亡き恋人を想う長いモノローグ、瞳子が漫然な毎日から救い出してくれる男の現実を知った嗚咽、四ノ宮が切れた携帯電話越しにも話しかけ続ける吐露した想い、、それぞれは辛い現実ではありますが、とことん落ちた後には生きていくしかないという事実しか残らないのです。そうしたボロボロになったときに救ってくれるのは、職場の同僚や家族がかけてくれる何気ない一言。それは決して積み上げてきた幸せを全回復してくれるパワーを持ったものではないけれど、そうした些細な幸せが周りにある限り、人生とは捨てたものではないのかもしれません。

ラストの持っていき方は少しありふれたものになっているのが物足りないですが、こういう形以外にハッピーエンドになる方法はないのかもしれません。主人公3人よりも、彼らの周りにいた優しく声をかける人たちのように、僕もなっていきたいと思う作品でした。

さて、本作をもって、2015年に鑑賞した映画に関しては全ての感想文を書き終わりました。次回は恒例の、2015年鑑賞映画ベスト10です。

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