1月 11

もう鏡開きですが、新年明けましておめでとうございます。

Blogでもチラッと書いたかもしれませんが、昨年12月に足の手術をしまして、仕事を休職して年越しという不安な立ち上がりです。未だにまだ仕事には復帰していませんが、ボチボチと今年もやっていこうと思っています。個人的な今年の目標というのももちろんあるのですが、それはここには書かず、おいおい明らかにできればと思います。

ということで、新年一発目はTEDで最近見た、有名なサイモン・シネックの講演「優れたリーダーは人をどう動かすか」から、イノベーションということをちょっと考えたいと思います。

講演を聞いてもらって分かるのは、Whyというところから始まると、人は共感をし、動いてくれるという内容。これが実は脳と同じような構造になっているという、脳科学に興味がある僕にとっては面白い話でしたが、ここでちょっと同じ話を視点を変えて考えてみました。

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手書きの下手な絵でスイマセン。

これをイノベーションという捉え方で見ると、欧米とアジア(日本、、と書こうとしたけど、中国、韓国、台湾の技術力の伸びを考え、大きくアジアとしました)のモノの考え方と直結しているのかなと思います。

欧米人は哲学や宗教の発展を考えても、まずなぜ必要なのかというコンセプトの話から始まります。Apple、Facebook、Googleのどれをとっても(Googleは少し怪しいけど)、まずは理念やコンセプトから始まって、それを実現するようなデザイン、技術という話に拡がる。これはWhy(なぜ)から始まって、How(どうやって)という部分に長けるということ。でも、それをツールとしてどう実現する(What)ような部分は弱い。

弱に旧来から日本はどうやって難しいことを実現するか、、Howの部分から入りやすいんですよね。その難しい技術的な課題をクリアするような技術(What)の部分を重ねてきた。でも、ここにはWhyというのがすっぱ抜かれている。例えば、携帯の防水機能。携帯をお風呂やプールで使えると便利だよね、、というHowレベルのことから始まって、なぜ携帯をお風呂で使うといいのか(Why)の議論が飛んでしまっている。プロダクト先行で、Whyの部分が抜けてしまった結果がガラパゴス化という状態に陥ったのではないかと思うのです。

そこでシネックの講演に戻るけど、人を動かすのは”Why”という部分を如何に”共感させるか”ということだった。ということは、製品やサービスについても人の心が動くのは”Why”から始められる欧米人が長けているということなのだろう。思えば今も昔も、何かしらのプロダクトが最初に生まれたのは欧米というものが多いのも事実なのだ。

じゃあ、日本がどんなに努力をしても、ジョブズを生み出せないのだろうか。その答えは分からないが、少なくとも
①今のままでは何かダメだろうという危機意識を持つこと:モノの考え方の大転換→直結するのは教育だろう
②短期的には、21世紀型日本イノベーションの模索:力を入れるべき産業ドメインは何なのか? そもそも欧米人にできないことはないのか?
の2つをしっかり考えないといけないと思う。

最後は消化不良気味だけど、新年なのでちょっと真剣に考えてみました。考え方はそれこそいろいろあるので、僕も書きながら自分の意見を今後もまとめていきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

11月 18

仕事柄、電子書籍関連も最近ウォッチするようになったので一言。。

PDFより何が優れているのか? 事業仕分けで電子書籍中間フォーマットを議論 – ケータイ Watch
これはありえないでしょ!!

民主党政権になって、1年とちょっと。僕は基本スタンスとして、4年は同じ政権でいないと後々評価ができないと思っています。小泉さんは7年かやって、後に続く安部政権とともに評価がようやくされてきた(多くはネガティブなものばかりだけどw)ところなんです。麻生さんとか、短すぎて、そういえばいましたね、、くらいしかなっていないと思います。

で、政権に就いた途端に、後退した改革の声。これも正直致し方ない部分があると思います。政権でない野党にとって、政治が今どのような状況で動いているのか、裏で動く部分は見えないわけですから。だからこそ、理想論で議論するしかないし、政権与党の足元がぐらついていたら一気に支持を獲得することもできます。しかし、そうした風が吹いても、与党になれば分かることや守らなければならないところもあります。そういう意味で後退と感じる部分が多くなっても仕方がないのです。

しかし、そうした中で唯一評価されてきた目玉政策の一つがいわゆる「事業仕分け」。官僚を相手に、申請された予算枠が適切かをどうかを与党議員や知識人もいれて議論し、その予算申請が適切かどうかを判断する場となっています。

それで今回、議論になったのが「電子書籍中間フォーマット」に関する予算編成について。。

2010年度の同事業では「電子出版の環境整備」をテーマに設定し、8億3600万円の予算を割いて委託事業を公募。「電子書籍交換フォーマット標準化プロジェクト」や「EPUB日本語拡張仕様策定」など10案件が採択されている。

 「電子書籍交換フォーマット標準化プロジェクト」は、各種電子書籍配信フォーマットに変換可能な、オープンかつフリーな電子書籍の交換(中間)フォーマットを策定するというもの。一方の「EPUB日本語拡張仕様策定」は、EPUB対応デバイスで縦書きやルビなど、日本語組版を実現させるためのもの。いずれも、今後の日本の電子書籍普及のキーとなる技術とされている。

日本でもiPadやシャープが作る電子書籍端末が今冬次々とリリースされることもあり、電子書籍元年ではないかといわれています。もともと携帯小説などは十分認知されるようになってきたし、先行するiPadでもアプリ配信という形で様々な書籍が並ぶようになってきました。

こうしたいろいろな部分で先行スタートしている電子書籍ですが、一つ問題となっているのはサービス事業者が各社ともそれぞれ違った基盤、違ったフォーマットで配信しているということ。同じ電子コンテンツでは普及が進んでいる音楽コンテンツを見るとわかりやすいのですが、iTunesであったり、LISMOであったり、Moraであったり、各サービスが違ったファイルフォーマット、違ったファイル形式やDRMでサービスをしているということになっています。

ここで、電子書籍が各社違うフォーマットでサービスするとどうなるか考えると
① 例えば、ユニバーサルサービス(ルビや音声再生)をしようと思うと、各フォーマット別に対応しなければならずコスト増
② 結局は大手の出版サービスのフォーマットが勝ち、一極集中が起きる。中小は断念し、小規模出版ができなくなる
③ 書籍を集め、市民に無料で提供すべき図書館サービスはコスト増となり、有料サービスもしくは電子書籍は非対応になる
④ 書籍を海外サービスするときも、各社違うガラパゴスフォーマットからの変換となり、コスト増
⑤ ①~④のコスト増に、結局国内電子書籍市場は拡がらず、海外の黒船(Amazon? Google?)が駆逐する

というシナリオが十分に考えられます。

電子書籍交換フォーマット標準化について、総務省が「国が予算を付けなければ、おそらく標準化は行われなかったと思われる。そうなると、日本で電子書籍のビジネスがシュリンクする」と訴えると、仕分け人は「民間の業者として標準化しなければビジネスが成り立たないのだから、国が予算を付けなくても標準化はなされるのではないか」と指摘。これに対して総務省は「標準化できなくてもビジネスにはなるが、企業ごとに異なるフォーマットになる。それではコンテンツの囲い込みになるため、国民にとって迷惑」「放っておけば3グループに分裂する状況。小さな市場で競争すれば、グローバルでは共倒れになる。日本の電子書籍が世界のプラットフォームに上っていく環境にならない」などと反論した。

仕分け人は市場競争の中で優位なフォーマットが生き残る、いわゆるデファクトスタンダードを指摘していますが、電子書籍のような大きな市場の問題は国や協会が主導するデジュールスタンダードがいいのです。それはグローバル化という上記④の問題だけでなく、高齢者や障害者向け対応という側面もある①や図書館サービスを守るという③の問題を国はどう考えているのか聞きたくなります。

電子コンテンツという意味合いで、電子書籍の市場を見てはならないと思っています。書籍は図書館でも、学校も使われる。教育や社会福祉といった問題も含めてみた、大きな視点で舵取りをしないといけないのです。これは医療や介護などと同じ目線が必要なのです。

「事業仕分け」を評価していないわけではありません。でも、これは公開処刑の一面も拭えなくて、申請するほうより、切るほうがどうしても見栄えがいいし、ヒーローっぽく見えてしまうのです。そうならないためにはちゃんとした戦略なり、ビジョンなりをもって望んで欲しいと切に願います。

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