5月 17

MIT

ここ数年、MITやスタンフォードを中心としたアメリカの大学によるオープンエデュケーションが加速している。大学の良質なコンテンツが動画、スライド、配布資料も充実し、それに無料で公開されているのだ。

単純に授業資料を公開するのはOCW(オープンコースウェア)と呼ばれ、日本の大学でも古くからおこなわれている(参考:JOWC)。しかし、ここで紹介されている各大学のOCWのページに行ってもらえれば分かるが、講義動画が公開されているのはごくわずか。ほとんどが講義資料・スライドの公開か、酷いところはシラバスをただ載せただけというレベルに留まっている。

しかし、アメリカを中心に始まっているオープンエデュケーションの波はここに留まらない。各講義の講義動画フル再生はもちろんのこと、講師と学生同士の掲示板や簡単なテストが行える教育ツールまで備えているところもある。これらは従来のOCWに対し、MOOCs(ムークス:Massive Open Online Courses)と呼ばれることが多い。

そして、更にその一歩先に行くのが、こうした複数の大学の優良コンテンツを集めたり、優秀な講師陣に本格的なオンライン用の教育コンテンツを作成してもらい、提供を行っているサイトだ。代表的なものとしてはedx(MIT、ハーバード)、Udasity(スタンフォード)、Coursera(スタンフォード)が上げられる。これらはオンライン講座になっており、公開期間を限定したり、修了テストを行ったり、単位(講座内でしか認定されないが)を発行したりもしている。ここまで用意されると、まさに無料で通える大学・学校と捉えてもいいだろう。

東大もようやくCourseraに講義科目を提供し始める(2013年秋スタート)が、こうしたオープンエデュケーションは日本にはどこ吹く風という感じで過ぎ去ってしまう感じがある。むしろインド、中国、アフリカ諸国などの新興国はこうした一流の大学での講義コンテンツを無料で受けられるというムーヴメントに乗ろうとしているのだ。なぜなら人口増しているこうした国々は、まずは国内の産業振興や都市開発に重きを置き、人材を育成するという教育予算にはなかなか重きを置くことができない。それにそうした高等教育を支える人材がそもそも不足しているということもある。こうした国々にとっては、オープンエデュケーション基盤を丸ごと取り込んで、国内の人材育成に活用しようとしているのだ。

対して、提供側はこうしたコンテンツを利用した世界中の学生を、自らの学校の新しい学生として迎えようともしている。逆に本国までこなくても、単位を発行する科目に対しては課金を行うことで、少額でも全世界から集金することができれば、その額は想像を超えるようなものになってくるだろう。

こうみると、そもそも学校に通うことの意義が学校側にも求められる時代になっている。教え教えられるというところに価値を見出す時代は、こうしたオープンエデュケーションの拡がりによって過去のものになりつつあるのだ。スマートフォン、タブレットをただ使うだけの教育ではなく、ネットという知の宝庫にアクセスできる窓としての使い方も考えねばならぬだろう。少子化に伴って、現役学生数が減少し始めている日本において、日本の各大学はこうした世界の流れに対抗できる価値をはたして見出せるのだろうか?

1月 29

今、リンダ・グラッドンの「ワーク・シフト」を読んでいるんですが、関連した面白い記事を見つけたので紹介(「ワーク・シフト」はいずれ書評するけど、働き方を考えるすごく良い本です)。


Picasso, Kepler, and the Benefits of Being an Expert Generalist
by Art Markman

このArt Markmanという人は認知学者なのですが、従来のジェネラリストとは違う、エキスパート・ジェネラリストというものを定義しています。

ジェネラリストというと、専門性の高いスペシャリストの対となり、様々な分野に卓越していてソリューションを作ったり、マネジメントをする人というのが一般的でした。以前、Blogで「日本でジョブズが生まれない理由」という中で、日本をはじめとしたアジア圏ではHowからWhatへアプローチするのがうまいと書きましたが、それはそれぞれが高い専門性を持ちうる民族なのではないかと思うところが大きかったからです。でも、特にIT化が進んだ1990年代頃から、専門性だけではなく、幅広い視座に立てるジェネラリストの育成が急務と言われた時期もあります。それはやはりグローバルに世の中が動く中で、”1つ1つのモノ(モジュール)”ではなく、”全体のシステム”というシステムアプローチ視点に時代が変わっていったことが大きいと思うのです。

でも、今はグローバル+コスト低減も同時に起きて、単純なシステムは全て単価が安く構築できてしまっている(これがクラウド+アウトソース)。だから、時代はスペシャリスト指向に戻りつつあって、本当に手に職をつけないと生き残っていけないのです。これは中身は違うけど、中世のギルド制度みたいですよね。

それともう1つ「ワーク・シフト」の中で述べられているのが、”創造的な仕事”をする人も必要とされるということ。これが僕はジェネラリストの次の形、Markmanのいう”エキスパート・ジェネラリスト”ではないかと思うのです。

考えれば、いくら専門性が深まっていくとはいいつつも、システム設計のコストがどんどん下がろうとも、システム全体を設計する人は必要。ただ、従来のジェネラリストのように全体を設計・管理するだけでなく、そこに如何に”創造性”を出せるかということ。Markmanもピカソやケプラーの例を持ち出していますが、異なる分野を横断的にというよりは、全く異種である分野を結合的できるような発想力がエキスパート・ジェネラリストには求められるのかと思います。

創造力(アイディアを創発する)、企画力(実行プランを計画する)、実行力(実行する)、これがエキスパート・ジェネラリストの重要な三本柱。記事では創造力をつけるには、Openness to Experience(何事も経験すること)の必要性が説かれていますが、何事も文句を言わずやってみろ、感じてみろ、、というのが、創造力を身につける一番の近道ですよね。

関連記事: ぐだぐだ悩むのは時間の無駄だから、さっさと決めて先に進め:世渡りプロトコル:So-netブログ
関連記事: 完成させることがすべてだ!~DIYに学ぶ「スキル修得との向き合い方」 : ライフハッカー[日本版]

<追記>
LifeHackerに上記記事の日本語紹介がされていました。
: ひとつの専門性を極めるより幅広い知識があるほうが創造的になれる? : ライフハッカー[日本版]

1月 29

少し前からやっているDocomoの以下のCM、ご存知だろうか?

携帯電話の契約数がもはや日本の人口以上になっている昨今。通信キャリアが次に目指す戦略の中で、Docomoは他のキャリアに比べて一歩先んじている感じがする。

それは”自動車”が”郊外型の暮らし”を提供したように、”通信キャリア”がECをはじめとした”生活基盤”、次世代ライフ・イノベーションを提供するというものだ。もちろん今でのPCを使ったEC事業はAmazonにしろ、楽天にしろ、非常に盛んだ。そこにDocomoがdショッピングとして満を持して実現したい世界を、このCMは上手く表現していると思う。私たちの身近になった携帯電話を使った次世代生活。携帯電話自体は飽和状態に突入していく中で、こうしたサービス目線で開拓していこうというのはよい視点だと思う。

もちろん、単純にECをやればいいわけではなく、携帯電話料金と一括にできるとか、音声で気軽に入力できる(これは”しゃべってコンシェル”がかなり進化しているが)とか、そういうサービス諸技術の開発が今後も必要だ。単純に高速につながるとか、端末が魅力的だという時代は、そろそろ終わり、如何に通信で便利な世界を実現できるかというところに勝負が移ってきたのだ。

1月 11

もう鏡開きですが、新年明けましておめでとうございます。

Blogでもチラッと書いたかもしれませんが、昨年12月に足の手術をしまして、仕事を休職して年越しという不安な立ち上がりです。未だにまだ仕事には復帰していませんが、ボチボチと今年もやっていこうと思っています。個人的な今年の目標というのももちろんあるのですが、それはここには書かず、おいおい明らかにできればと思います。

ということで、新年一発目はTEDで最近見た、有名なサイモン・シネックの講演「優れたリーダーは人をどう動かすか」から、イノベーションということをちょっと考えたいと思います。

講演を聞いてもらって分かるのは、Whyというところから始まると、人は共感をし、動いてくれるという内容。これが実は脳と同じような構造になっているという、脳科学に興味がある僕にとっては面白い話でしたが、ここでちょっと同じ話を視点を変えて考えてみました。

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手書きの下手な絵でスイマセン。

これをイノベーションという捉え方で見ると、欧米とアジア(日本、、と書こうとしたけど、中国、韓国、台湾の技術力の伸びを考え、大きくアジアとしました)のモノの考え方と直結しているのかなと思います。

欧米人は哲学や宗教の発展を考えても、まずなぜ必要なのかというコンセプトの話から始まります。Apple、Facebook、Googleのどれをとっても(Googleは少し怪しいけど)、まずは理念やコンセプトから始まって、それを実現するようなデザイン、技術という話に拡がる。これはWhy(なぜ)から始まって、How(どうやって)という部分に長けるということ。でも、それをツールとしてどう実現する(What)ような部分は弱い。

弱に旧来から日本はどうやって難しいことを実現するか、、Howの部分から入りやすいんですよね。その難しい技術的な課題をクリアするような技術(What)の部分を重ねてきた。でも、ここにはWhyというのがすっぱ抜かれている。例えば、携帯の防水機能。携帯をお風呂やプールで使えると便利だよね、、というHowレベルのことから始まって、なぜ携帯をお風呂で使うといいのか(Why)の議論が飛んでしまっている。プロダクト先行で、Whyの部分が抜けてしまった結果がガラパゴス化という状態に陥ったのではないかと思うのです。

そこでシネックの講演に戻るけど、人を動かすのは”Why”という部分を如何に”共感させるか”ということだった。ということは、製品やサービスについても人の心が動くのは”Why”から始められる欧米人が長けているということなのだろう。思えば今も昔も、何かしらのプロダクトが最初に生まれたのは欧米というものが多いのも事実なのだ。

じゃあ、日本がどんなに努力をしても、ジョブズを生み出せないのだろうか。その答えは分からないが、少なくとも
①今のままでは何かダメだろうという危機意識を持つこと:モノの考え方の大転換→直結するのは教育だろう
②短期的には、21世紀型日本イノベーションの模索:力を入れるべき産業ドメインは何なのか? そもそも欧米人にできないことはないのか?
の2つをしっかり考えないといけないと思う。

最後は消化不良気味だけど、新年なのでちょっと真剣に考えてみました。考え方はそれこそいろいろあるので、僕も書きながら自分の意見を今後もまとめていきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

5月 06

昨今、ノマドワークという言葉が盛んだ。もっともテレワークの概念が広まってる証拠でもあるが、一部のITベンチャーを覗いて、本当のノマドができる環境ではないというのが印象でもある。

ノマドライフ 好きな場所に住んで自由に働くために、やっておくべきこと
ノマドライフ 好きな場所に住んで自由に働くために、やっておくべきこと

GW中、お役所・銀行を始め、なか日の5/1,5/2に出勤された方も多いと思う。でも、僕の友人でもそうだったが、普通の会社が大型連休で休みなため、やる仕事が無いという方も結構いたのではないだろうか?

そもそも日本の連休という仕組みが、僕はすごく時代錯誤だと感じる。もちろん祝日は祝う意味があるので、休みであるというのももっともだ。天皇誕生日、元旦、春分、秋分と季節の変わり目や宗教上の意味合いが強い日は休みにしたほうがいい。

でも、海の日や体育の日が果たしているのだろうか? 敬老の日は? 勤労感謝の日は? 何だか意味のあるのか分からない祝日で、土日を挟んだ三連休というスタイルが多いように思う。

この横並びで連休というスタイルは高度経済成長期は意味があっただろう。モノづくりにおいてはラインを止めるだけで何億という生産に影響が出るし、サプライチェーンでつながっているものも含め、連携して動かないといけない。でも、グローバル化の昨今。日本が休みでも、海外でのラインが動いているから休日返上というメーカーも多いのではないだろうか? これは逆も然りで、日本という国内で見てはいけないと思う。

需要側もそうだ。連休でどこもかしこも混んでいる。ウチに篭ってもネットでモノを買えば、物流ラインはフル稼働。旅行先への移動も混むは、ホテル代も高いわ、飛行機代も高いわと半端ではない。もっと需要もフラットになれば負荷も分散され、サービス料金も平準化されるし、何しろ混むことの心のストレスも軽減されるだろう。

無論問題もある。それぞれが大型連休を別々に取れば、それによる不整合も起こる(ミーティングが出来ない、生産調整をしないといけない云々)。しかし、これだけITが発達した世の中で、それをカバーするような働き方自体が求められるのではないだろうか? それを企業側も、雇用される側も意識していかないといけない時代なのだと思う。

ノマドと聞くと休みながら働ける楽なイメージがあるが、実は逆に言えば今まで以上にハードな働きなのかもしれない。でも、こうした意識をもった仕事こそ、本当の「ライフワーク」なのではないかと思う。

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