1月 26

行ってました。@京都大学

京都大学で行われたMOOC関連の講演会に、プレイベートを兼ねて行ってきました。

詳しい内容は下記を。。
「学生の学びをどう記録し分析するか-MOOCs、アクティブラーニングとLearning Analyticsをめぐって-」

詳しい内容はここでは割愛しますが、講演を聞いての雑惑を二点だけ書いておきます。

① LearningAnalyticsとAdaptiveLearning

今回はMOOCを使ったLeaningAnalyticsへの示唆という内容が主でした。講演されたロング先生のオーストラリアでの実践的な取り組みも面白かったし、実業務でも参考になるところがチラチラと出てきて(特に、教育データを可視化したグラフは是非使わせてもらいますw)いました。

オーストラリアはもちろんですが、日本でもJMOOCが始まろうとし、中国やフランスなどでも同様の動きが広がっている。最初はスタンフォードやハーバードなどのアメリカから始まったMOOCの流れは、高等教育での爆発的な教育コンテンツの開放という波が2013年は来たというところだと思います。

じゃあ、2014年は何が来るのか。僕は民間のものも含め、これだけ広がったオンライン教育コンテンツの淘汰が徐々に始まってくるのだと思っています。そのKeyになるのが、教育におけるデータ分析。本日の講演の文脈でも、学生の学習データを解析することによって、学びの差をいうものを解析的に捉え、教育全体の質を上げていくLearningAnalyticsの未来というのが語られています。

でも、僕は大学のような高等教育機関がLearningAnalyticsではダメだと思うのです。これはむしろ高校までの初等・中等教育で盛んに研究されるべきものでしょう。僕の考え方が古いのかもしれないのですが、大学というのは学力を延ばすというよりは、学際力を伸ばすところ。同じ問題に対峙しても、いろんな切り口で研究していく。それが高等教育としての大学であり、研究機関としての大学であると思うのです。

学力というのは2つのベースがあると思います。1つは読み書き話すという初等機関から学ぶベーシックな学力、もう1つは1つの問題を複数の視点から調査・検証していくという解析していく力。後者は答えが1つではないし、1つではないからこそ、いろんなアプローチで物事をみる重要性が問われるのです。

アメリカではLearningAnalyticsとともに、KNEWTONなどが行っている「適応学習(AdaptiveLearning)」という考え方ものある。答えが1つでない世界のことを、どうナビゲートできるのかは、検索ではない新しい知識の在り方・捉え方が必要なのかなと考えたりもします。答えは僕自身も答えはないですが、ビッグデータ時代の学びの在り方は、本というのが教育を変えたくらいのインパクトがあるのではと思っています。

② 教育におけるデータサイエンティストの必要性

こうしたLeaningAnalyticsの流れが出てくるのは、ずっと教育における適正なPDCAサイクルというのを模索し続けた結果だと思います。ですが、どの教育機関(小中、高校、大学、各種専門学校等々)においても、今でも学習教材の改良や学ぶ生徒のケアで忙殺されているのに、更に学習データ(本のここをよくマークしているとか、音声のコメントが付いてるとか、掲示板とか、動画のコメントとか、、)がどんどん増えてくると、それをどう分析して、どういう教材を使って、どういう講義を構成(オンライン、オフラインも含め)したらいいのか、選択肢が増える分だけ、その効果を十分に活かすことができない自体に陥るのでは?と思ってしまいます。

無論、こうしたデータ分析もろもろに関わるのは教育の分野だけではなくて、製造業やサービス業など、どの分野でも同じように思います。今後もどういうツールが増えてくるのか分かりませんが、その中で物事をどうリ・デザインして、現場に適用していくのか。もっと現場に根ざしたインテグレーションの適用がビッグデータ時代では(今更ながら)急務だと感じました。

個人的にはUXとか、デザイン思考とか、どうデザインしていくかと、業務ノウハウを事細かに分析する分析力が両輪になってこそ、初めて本当に使えるシステムになるのではと思います。ここにも今までのITにおけるインテグレーションとは少し違った新しい形が必要なのではと感じました。

それにしても、教育でこれだけデータが取られると、うかうか教科書も広げられないですね(笑)。教育におけるデータの帰属性の話(これは医療における医療情報の帰属と同じスキームだと思うのですが)もあるし、、、まぁ、未来はいろんなことをクリアしないとやってこないということでしょうね。

1月 11

もう鏡開きですが、新年明けましておめでとうございます。

Blogでもチラッと書いたかもしれませんが、昨年12月に足の手術をしまして、仕事を休職して年越しという不安な立ち上がりです。未だにまだ仕事には復帰していませんが、ボチボチと今年もやっていこうと思っています。個人的な今年の目標というのももちろんあるのですが、それはここには書かず、おいおい明らかにできればと思います。

ということで、新年一発目はTEDで最近見た、有名なサイモン・シネックの講演「優れたリーダーは人をどう動かすか」から、イノベーションということをちょっと考えたいと思います。

講演を聞いてもらって分かるのは、Whyというところから始まると、人は共感をし、動いてくれるという内容。これが実は脳と同じような構造になっているという、脳科学に興味がある僕にとっては面白い話でしたが、ここでちょっと同じ話を視点を変えて考えてみました。

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手書きの下手な絵でスイマセン。

これをイノベーションという捉え方で見ると、欧米とアジア(日本、、と書こうとしたけど、中国、韓国、台湾の技術力の伸びを考え、大きくアジアとしました)のモノの考え方と直結しているのかなと思います。

欧米人は哲学や宗教の発展を考えても、まずなぜ必要なのかというコンセプトの話から始まります。Apple、Facebook、Googleのどれをとっても(Googleは少し怪しいけど)、まずは理念やコンセプトから始まって、それを実現するようなデザイン、技術という話に拡がる。これはWhy(なぜ)から始まって、How(どうやって)という部分に長けるということ。でも、それをツールとしてどう実現する(What)ような部分は弱い。

弱に旧来から日本はどうやって難しいことを実現するか、、Howの部分から入りやすいんですよね。その難しい技術的な課題をクリアするような技術(What)の部分を重ねてきた。でも、ここにはWhyというのがすっぱ抜かれている。例えば、携帯の防水機能。携帯をお風呂やプールで使えると便利だよね、、というHowレベルのことから始まって、なぜ携帯をお風呂で使うといいのか(Why)の議論が飛んでしまっている。プロダクト先行で、Whyの部分が抜けてしまった結果がガラパゴス化という状態に陥ったのではないかと思うのです。

そこでシネックの講演に戻るけど、人を動かすのは”Why”という部分を如何に”共感させるか”ということだった。ということは、製品やサービスについても人の心が動くのは”Why”から始められる欧米人が長けているということなのだろう。思えば今も昔も、何かしらのプロダクトが最初に生まれたのは欧米というものが多いのも事実なのだ。

じゃあ、日本がどんなに努力をしても、ジョブズを生み出せないのだろうか。その答えは分からないが、少なくとも
①今のままでは何かダメだろうという危機意識を持つこと:モノの考え方の大転換→直結するのは教育だろう
②短期的には、21世紀型日本イノベーションの模索:力を入れるべき産業ドメインは何なのか? そもそも欧米人にできないことはないのか?
の2つをしっかり考えないといけないと思う。

最後は消化不良気味だけど、新年なのでちょっと真剣に考えてみました。考え方はそれこそいろいろあるので、僕も書きながら自分の意見を今後もまとめていきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

12月 20

今、実は入院している(2012年12月20日現在)のですが、ボーッと見ているテレビのワイドショーで面白いものを見つけた(知っている方が多数いると思いますが)ので紹介します。

それが3Dプロジェクション技術というもの。まずはどんなものか実物を見たほうが早いでしょう。

これは長崎のハウステンボスの建物を下地に、そこに映像をプロジェクター投影することで動きを表現したもの。実際にあるモノ(3D)に、映像という2Dのものを被せることによって、新しい映像表現が生み出されています。これをプロジェクションマッピングといいます。

最近有名なのが、

改装開業した東京駅のイベントで使われたもの。これはニュースでも何回も流れているから有名ですよね。

今、行われているものだとカレッタ汐留とか、

関西だと太陽の塔でも行われているらしいです。これは行きたいなー。。いけないけどww

ハリウッド映画を中心に3D映画というのが広まり、スマートフォン活況でAR技術というものも持て囃されました。モノと映像というコンテンツをつなぎ合わせる技術としても、アート作品としても、何か次を感じさせてくれるものです。ホログラムとか待っているよりも早いかもしれない。

興味がある方は下の映像を参考に作ってみてもいいかも。見てると昔の塗り絵みたいですよねw

3月 05

少し前の記事ですが、こんなのがありました。

漫才ロボット

甲南大、漫才ロボットを披露、Webニュースから台本を自動生成

漫才ロボット誕生というのは、大阪好きで、ロボット好きな僕にはたまりません。

記事を読んでいくと、、

 漫才は、「つかみ」「本ネタ」「オチ」の三段論法にて構成され、実装した自動生成システムでは「本ネタ」と「オチ」の部分を生成する。
 具体的には、構築した「Manzai-XML」により、あらかじめ設定した演出に沿って「本ネタ」を生成している。また、最後の「オチ」は、頻出度が高い単語をもとに記事で関連性が高いジャンルを推定し、該当するギャグをランダムに抽出してボケている。「つかみ」については、あらかじめ作成したシナリオにもとづいて行っている。

漫才にはネタとオチがあるのは理解していましたが、落語と同じで「つかみ」が必要だとは思いませんでした。三段論法の分析はいいのですが、あまり理論構築っぽくなると、心理学でいう想定しないものに対する世界や話題の登場という”笑い”が起きないような気もしますw

「本ネタ」で披露しているボケは次のような流れで生成する。まず、入力したWebニュースを単語単位に分割し、そこから一般名詞を取得。同時にタイトルから人名と一般名詞を取得する。
 次に、韻を踏むボケを生成する場合は、取得した一般名詞をローマ字変換し、登録辞書の中から母音の並びが同じ一般名詞に置き換える。

言い間違えや聞き間違えによる「ボケ」は基本中の基本ですが、ロボットにやらせるとこれだけ複雑な処理を挟まないといけないのです。

ギャグに、いや逆に考えると、人間の会話の中には物事・事物を想定して、それを話者間で共有して、コミュニケーションをするということを高度にやっているのです。小さい子との会話が続かないのには、こういう想定・想起情報が圧倒的に少ないからなのかもしれません。

世界をずらすことで笑いを生み出す。笑いが健康や幸せを生み出す。笑いの技術の中には人の創造力が詰まっているといえるのかもしれません。

ロボット研究がそういう人の根底や根源に潜む能力を解明してくれる日もそう遠くないのかもしれません。

どうでもいい話ですが、落語を覚えたいと思う今日この頃ですw

4月 05

SIMロック:解除巡りツイッターで応酬 孫正義ソフトバンク社長と原口一博総務相 – 毎日jp(毎日新聞)

 携帯電話端末を特定の通信会社でしか使えないようにする「SIM(シム)ロック」の解除を総務省が打ち出したことについて、反対するソフトバンクモバイルの孫正義社長と、推進する原口一博総務相が、簡易投稿サイト「ツイッター」で応酬を繰り広げた。 

この記事の内容はともかく、SIMロック解除に日本が動き出すというのは携帯業界において1つの転換点を迎えるように思います。

SIMカードとは携帯電話を契約する際に、携帯会社から渡される携帯電話番号をはじめとした個人情報が記録されたICカードのこと。携帯電話にこれを挿すことによって、携帯側が通信を開始し、携帯を使えるようになるのです。こうする目的は端末をリリースするメーカーと、通信を担う通信キャリアを完全に切り離すことで、個人が自由に端末・通信キャリアを選択できるようにしており、海外では当たり前になっています。

日本でもFOMAなどの3G時代から各社始めていますが、現行はSIMロックといって、各通信キャリアが出している端末に各社のSIMカードを挿さないと端末でサービス開始にならないような縛りをかけています。だから、iPhoneをドコモの通信プランで始めたいと思っても、SIMロックの縛りがあるからできない。。それをどの通信キャリアでもできるようにしようというのが今回の動きなのです。

SIMロック解除されることのメリットは上記したように、ユーザが自由に通信キャリアを選べるので、魅力的な料金プランがあるとか、地方でも電波が強いとか、海外キャリアとも相互乗り入れしている(→こういうところも現れるかも)とか、それぞれの好み・使われ方に合わせた乗換えを自由にできるところでしょう。端末メーカーにとっても、今までキャリア別の仕様に合わせて作りこまなければならなかったのがSIMフリーになることで共通化でき、端末開発費が抑えられることになるし、Appleのようにメーカー主導で通信サービス(アプリ配信、音楽配信等)を展開し、顧客を囲い込めるメリットができます。端末開発費の低減は、端末代そのものを抑えられることになるので、ユーザにも利益が還元されるようになってきます。

一方、デメリットは通信キャリアのほうでしょう。孫さんが言っているように、iPhoneのような魅力的な端末を囲い込めなくなり、特にSoftbankのような基地局整備がドコモに比べて遅れを取っているようなキャリアには特に痛手になります。また、iPhoneやスマートフォン、Kindleのような電子書籍端末が次々に登場しているアメリカでは、通信会社の通信料金収入に対し、ユーザ数が圧倒的に増えてしまったため過剰なトラフィックが通信キャリアの経営を苦しめているといった現実もあります。SIMロックというのは自社の通信網に対し、端末やその上にのるサービスをある程度コントロール可能という正の部分もあります。これが崩れると、通信キャリアはどのような負荷がかかっても対応可能なように設備投資を進めないといけないので、通信料金を値上げするような動きもでてくるでしょう。

また、サービスの部分でも、ドコモのi-mode、auのEZ、SoftbankのYahooケータイと各社がやっているサービスがSIMフリーになるとなくなる可能性もあります。これは端末に何のSIMカードを挿してもいいのなら、端末が通信キャリアのサービスを対応しなくもいいということにつながってくるからです。これはキャリアにとっては通信サービスの収入がなくなることになり、やはり痛手になります。でも、この辺りの話は微妙で、キャリアの発言権が以前強いのであれば、端末ごとにドコモ対応です、au対応です、と謳い、結局様相は今とさほど変わらないことになるのかもしれません。

といいつつも、やはり業界の様相は一変することが予想されます。これはユーザにとってはイマイチピンとこなくても、僕はMNPのときの比ではないと思います。まだ、検討開始したばかりですから、大きく変わるのは2、3年の話になるでしょうが、結局現状のままにするのか、大きくこの方向で行くのか、どちらにしても携帯を使うユーザを置いてけぼりの議論にはして欲しくないものです。

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