3月 14

昨日に引き続き、人の死に向き合ったノンフィクション作品をご紹介(前回記事:「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」書評

本著「遺体ー震災、津波の果てに」は、まさに2年前の東日本大震災時、海部分のマチを失った釜石市が舞台となっている。遺体安置所となった市内の旧二中を中心に、そこに関わった地元の人々をインタビューをもとに書き起こしたノンフィクション作品になっている。実際に震災時、街全体が壊滅的な打撃を受けた陸前高田市のような場所ではなく、街の半分は津波の被害を受けなかった釜石が舞台になったのは、(著者も語っているが)被害を受けなかった街の人が、身近にある同じ街の人の死に向き合うことに注目しているのだ。それは日常生活が崩壊し、周りの世界が一気に地獄絵のような状態になったことだと想像に難くない。そんな地獄のような世界の中で、人が人としてどう生きるべきなのかを、この作品は教えてくれるような気がする。

「エンジェルフライト」では人の死と、遺族とを繋ぐ想いについて述べたが、この作品は同じ人の死でも見方が少し変わる。本著に登場する人たちは元葬儀社や地域の医師など、人の死に対し、関わりを持っていた人ばかりでなく、否応なしに当事者ではなくても人の死に向かい合わないといけない人たちもいたということだ。それこそ遺体などに触れたことがない人たちも関わらないと、物事が進まないような混乱。そこには多くの死に対して、遺体が本当に魂の抜けた”モノ”になってしまうような狂気もあったろう。単純な悲しみ、苦しみ以上に、人としてその地獄を生き抜くために必要な多くの要素があったことだろう。悲しい、確かに悲しいが、そこから進まなければ日常は戻らないのだ。でも同時に、残された多くの遺族とともに、苦労があっても一人一人の死に対して向かい合う尊厳さも忘れなかったことが、(単純な言葉ではあるが)凄いと思わさせられるのだ。

印象的なのは、ラストの部分で単身であったり、それこそ身内全員が犠牲になり、身元がわからず無縁仏になっている人たちにも触れていることだろう。そのような人も含め、犠牲となった方を弔い続けることが本当の復興なのだと思う。先立った人の想い、意志に触れ続けることが、遺された者たちの使命でもあるのだ。

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