映画の紹介をBLOG上ですることは異例ですが、いい映画を観たので紹介させてもらいます。
それは「普通に生きる」というドキュメンタリー映画。静岡県・富士市、富士宮市にある重症心身障害者向け通所施設”でらーと”を取り上げたこの作品は、人が人として生きる意味を考えさせられます。
僕も普通の生活をしている障害者の端くれです(笑)。でも、僕自身は健常者と同じ学校に行き、今の職場も普通に就職活動をして入りました。しかしながら僕の弟は知的障害者(正確にはダウン症児)で、中学までは普通の学校の養護クラスに通ってましたが、高校は養護学校、今は障害者向けの授産施設で一応働いています。
僕はたまにしか地元に帰らないので、弟の障害者施設のことはあまり知りません。時々、両親から話は聞くのですが、曲がりなりにも(まぁ、いろいろ問題はありますが)授産施設で働けているので、この映画に登場するような重度障害者向け施設となると福祉措置入院など、どうしても社会的には封をしろみたいなマイナスなイメージが拭えていません。
無論、映画の中でも描かれていますが、彼ら彼女らは重度な障害を抱え、通常の生活に送るにも看護師や近親者のケアが必要です。彼ら彼女らにとって普通に生きることとは何なのか? それを考えたときに、映画の中で登場した”でらーと”の小林所長の言葉にハッとしたことがあります。
それは
「看護師や介護士のように特別な資格を持たない支援者でも、うまく食べ物を飲み込めたり、介助を受けやすいように体を動かすこと。そうした彼ら彼女らの行動が”普通に生きること”、”自立する”ということなのだと(注>言葉は正確ではありません))」
弟や両親を見ていて思うのですが、やはり障害者やその家族はどうしても社会から孤立する方向に行ってしまう。福祉制度も措置入院みたいなことをしていたら、社会も孤立を促進させる方向に動いてしまう。それでいいのでしょうか?
仏教の考え方にこんなものがあります。人間は生まれたとき”おぎゃー”と泣きながら、世界を恐れながら生まれてくると。考えると、健常者であれ、障害者であれ生きていくことは辛い。でも僕は、人はたった1%の幸せや感動のために、99%の辛さや苦しみを抱えながら生きる。それが人生なんだと思います。家族や友人、地域の人、会社の人、、様々な人との関わりや助け合いが99%の辛さや苦しみを分散させる。それが社会のあるべき姿だと思うのです。
警察庁によると、昨年2011年の自殺者は3万513人だそうです。今後、高齢化や単身世帯の増加で、都市部を中心とした孤独死も大きな社会問題になってくると思います。人が人として生きることとは、社会のつながりを持つこと。つながりの科学を曲りなりも大学時代研究してきたものとしては、ITや社会の仕組みを考え、こうした問題を少しでも減らせる社会にしたいと微力ながら思っています。
つながることの幸福感。この映画に登場する全てに人にはその笑顔があります。この作品を多くの人に見てもらいたい。そして考えてもらいたいと思います(ちなみに東京ではポレポレ東中野さんで、1/27まで公開予定です)。
日本もモノづくりの生産力から、人の人たるところを考えるところにきているのかもしれません。
【参考】
映画を観ていただいて、その上ブログにも載せていただいてありがとうございました。
重い障害の子供がいても、必要な支援サービスとつながりのなかで子どもたちは豊かに暮らせること、母親も自分らしく生きていいんだということを伝えたいと思いました。
あたたかい言葉を頂いて本当にうれしかったです。
これからもよろしくお願いいたします。
>小沢さん
コメントありがとうございます。
生きていくうえで親も子も一人の人間として生きていく。
それが尊重される社会をつくることこそが大事なんだと思います。
自分もそんな社会を作れるように頑張っていきたいと感じさせてくれる作品でした。
微力ながらも頑張りたいと思います。こちらこそよろしくお願いします。