12月 09

顔のないヒトラーたち

「顔のないヒトラーたち」を観ました。

評価:★★★☆

本作は戦争映画ながら、戦後の残された戦中の課題を取り上げた珍しい作品。よく戦争というのは普段の私たちの生活ではない”異常な状態”であり、人が人を殺しても、それは戦争という異常な事態であるために仕方がないことだとひとくくりにされます。事実、戦争で人を殺した兵士一人一人に犯罪を問うことはないし、罪を追ったとしても、戦争に負けた側の戦争責任を問う戦争犯罪だけなのです。(ただし、現段階でも敵国側の非戦闘員を殺すことは戦争犯罪ではないかと思うけど、戦勝国にそれを問われることは(倫理的なことは別として)ほとんどない。。)

しかし、第二次世界大戦中のナチス・ドイツのユダヤ人排斥運動は別。同じドイツ国内や侵攻して支配下においた地域でも行われたユダヤ人を強制収容所に送り込み、処分という名目で殺戮していた行為は、よくよく考えてみると、自国民を抹殺していたという犯罪行為。戦争という異常状態であっても、許されるべき行為ではないのです。でも、戦後のドイツ、特に西側諸国に属することになった西ドイツにおいては、その問題はタブーであり、支配下においた連合国側もナチスの中枢部にいた幹部以外(一般兵)については蓋をしてしまった。本作は、そんな戦後のタブーに挑んだ1人の検察官の物語なのです。

僕は本作を観ていて、戦争映画というよりは政治や社会の都合で、声を出せずに蓋をしてしまった問題を描く社会派のドラマだと感じました。思い出すのは、小さい頃に小学校で受けた同和教育。日本でも、つい最近までアイヌなどの原住民、在日コリアンや部落民、らい病患者など、よく実情を知ろうともせずに、社会によって公然と格差を容認されていた地域・人たちがいるのです。今の道徳教育はどうなっているか知りませんが、僕の育った地域にも部落地域があり、道徳とは別の扱いで、差別をなくすための教育というのにものすごい力が入れられていました。本作でも、戦争とその後に訪れた平和維持のために、多くの声を上げれなかったユダヤ人たちがいる。彼らにとっては恨みを晴らすというより、ナチスの名の下に、非人道的な行為を行った人間(たとえ、一般兵士であろうとも)に社会罰を与えたいということが大きかったのだと思います。世間のタブーを蒸し返すという怖さよりも、真実を当たり前のように追求したいという主人公ヨハンの思い、苦しみというのを切々に描いていきます。

戦争映画は昔から数多く作られるものの、ユダヤ人迫害を数多く取り上げるようになったのは「シンドラーのリスト」などの作品が作られる1990年代までなかったですし、ましてや迫害に手を下していた側の自己総括のような映画となると、本作が初めてのような気がします。なかなか自らの国のタブーを、自ら血を流すような形で描くことはできないように思いますが、この問題はそれだけ癒えることないドイツの負の一面なんだと感じます。

次回レビュー予定は、「あの日のように抱きしめて」です。

preload preload preload