12月 11

あの日のように抱きしめて

「あの日のように抱きしめて」を観ました。

評価:★★☆

”未練がましい”という言葉があるが、まさに本作は、その”未練がましさ”を描いた作品。第二次世界大戦下のドイツ、ナチスによって収容所に収監されていたユダヤ人女性が戦後開放されるものの、収容所で受けた虐待のせいで必死の形成術も実らず、容姿が大きく変わってしまった。戦後は落ち着いた生活を送ろうと思っていた矢先、戦時下の混乱で離れてしまった夫と偶然再会するが、夫が彼女が妻だと分からなかった。。

本作では夫が妻を認識できないという問題の他に、妻がユダヤ人であるために、夫が妻をナチスに引き渡したのではないか、、という1つの疑念が物語上定義されます。もし、これが事実なら妻は夫を許せないはず。しかし、妻が夫を思う気持ちはそれ以上で、たとえ、夫が妻としてではなく、全く違う女性と認識しても、妻は夫にとことん寄り添っていくのです。

誰しにも人生の中で想いを持っていたのに告白できなかったとか、叶わぬ恋に挑戦したという過去のわだかまりを多少なりとも持っているもの。大抵の人は、過去は過去と捉えて前に前進するし、相手が自分に対して何らかの酷いことをしたり、裏切った場合は好きだからこそ相手を絶対に許せないと僕なら思ってしまう。しかし、本作の主人公ネリーは愛する夫といた一時(ひととき)を追い求め、妻とは別の女性と認識されてでも、夫ジョニーについていく。そこにジョニーから提案されたのは、妻の財産を山分けにするために、亡くなった(と思っている)妻を演じてくれというもの。これこそ酷いの極みなのだが、ネリーが抱えた”未練がましさ”はそれをも受け入れてしまうのです。

そもそも、こうした悲劇は戦争が起こらなければおきなかったこと。しかし、ちょうど1つ前に書いた「顔のないヒトラーたち」の感想でも触れましたが、起きてしまった戦争という異常下の中でも、如何に人間らしく理性を保って生きていくのかという重要性は本作でも触れられていると思います。亡き妻を演じる妻ネリーの抱えた苦しみ、未練がましさは、ラストの歌で見事に昇華されていくのです。

次回レビュー予定は、「バクマン。」です。

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