3月 23

皆さんは整理上手だろうか? 僕は全然ダメ。オマケに好きなものをどんどんと貯めこむクセがあるので、部屋はどんどんモノで溢れてくる。都内の自宅は狭いので、できうる限りモノは貯めない(買わない、残さない)工夫をしているが、世の中はどんどんモノが溢れる方向に動いている。整理術とは、そんな現代社会を生き抜くためには必須な能力なのかもしれない。

この佐藤可士和さんが教える超整理術は、こんな僕のようなモノや情報に埋もれてしまう傾向にある人には最適。でも、100均でラックを買って、この本をこう整理して、、、という具体的なノウハウを教えてはくれない。あくまで整理するための心の持ち方、スタンスを教えてくれるのみだ。これって役に立つの?と思われがちだけど、そもそも整理が必要でないと思っている人には、整理をすることによって何ができるのかというWHYから教えてくれたほうが身になるものだ。いろんな事例を上げながら語ってくれる、その先にあるのは”それって、本当に必要なの?”と問う姿勢なのだというところに集約化されてくる。

実は、この本の後半は整理術といいながら、著者がやっている広告デザインの話に移っていく。それには、この”それって、本当に必要なの?”という問いが、ビジネスでも使える基本スタンスだということなのだ。製造業でも、サービス業でも、1つのモノやコトの中でも今はいろんな要素が複雑に絡み合ってくる。でも、何かを実行するには、その1つ1つの中で本当に必要なものを見つけ、それをうまく並び替えていくことなのだ。それには普段から、その本当に必要なものを見つけ出す能力を鍛え、準備しておくことが必要。そのためには整理を習慣づけることが、その能力を高めていくこと。こんな嘘みたいな本当なことが、この本が最も強くメッセージングしているところだと思う。

日常うまく整理ができているかいないかはさておき、いろんなモノやコトが溢れる現代を生きるビジネスマンには、こういう見方もあるのかと知るだけでも一読をオススメする。

3月 21

オープン戦(その1:鎌ヶ谷)に引き続き、次の日は横浜スタジアムでの横浜戦でした。

この日はとにかく寒かった。日は照っていたけど、風が冷たくて寒さ倍増といった感じです。

横浜DeNAベイスターズ vs オリックス・バファローズ

観戦場所:横浜スタジアム
観戦日時:2013年3月17日(日) 13:00プレイボール
結果:7対3

横浜スタジアムは昨年12+1球場訪問記では最下位13位にしましたが、 まずグラウンドの見にくさがあります。前回の公式戦のときと違い、オープン戦はほとんどの座席が自由席になるのでできるだけ前にいきましたが、少しでもお客さんが重なると視界が部分的に遮られる。。これは何とかして欲しいです。

でも、スタッフサービスはいいですね。球場フーズも結構美味しいし、価格もこなれてきたように思います。

試合も負けたし、寒さに耐えていたので、以下、写真のみで。。

DeNAはブランコ、ソーサなどの元中日メンバー、モーガンら新外国人が元気です。ラミちゃんも負けずにこの日は特大のホームラン。内村、渡辺直、後藤などの元パ・メンバーも元気に活躍してくれれば打線は面白い。あとは先発陣ですかね。。

3月 21

2013年の球春もスタート。まずは試合結果を見なくてもよく、いろんな選手が見れる楽しいオープン戦からw

ちょっと日にちが経ってしまっているので、写真中心にご紹介します。

北海道日本ハム vs オリックス・バファローズ

観戦日時:2013年3月16日(土)13:00プレイボール
観戦場所:鎌ヶ谷ファイターズスタジアム
結果:7対1

初めての鎌ヶ谷観戦。主に日ハム2軍のイースタンの試合が行われるのですが、コアなファンが多い濃い球場です。

写真に見えている後ろの左側が日ハムの選手寮、右側が室内練習場、周りは千葉ののどかな田舎街なので、野球に集中できる環境ですよねw

二軍球場なのに、立派すぎる電光掲示板。。

こんな表示もできるし、選手入場曲もばっちり用意してあるし、周りの環境に似合わない充実ぶりにビックリ!!

ファイターズの先発はウルフ。球がなんか軽かったような気がしました。

バファローズのほうは移籍組の東野。立ち上がりはやや自滅気味でしたが、2回以降はすんなりといった感じ。ジャイアンツ時代はあんまいい印象はないので心配なんですが、先発ローテとしてしっかり回ってくれることを期待。

この日の驚きはWBC帰り組の李のホームラン。反対方向にライナーで飛び込むという驚愕なホームランでした。

そして、一番の楽しみだった日ハム大谷もばっちり見てきました。この日は先発野手のライト。打席では、最初は振り回すだけかなと思っていたけど、2打席目、3打席目とスタイルを変えてくる学習ぶりには才能の片鱗を感じさせます。

バファローズファンには残念だった、大引選手のトレード。この日も序盤だけでしたが出場していました。赤田選手と合わせ、オリックスファンからも声援が飛んでいました。昨年から打撃をオープン気味にしてたけど、今シーズンはもうオープンスタンスでやっていくみたいですね。構えが北川選手を彷彿とさせます。新天地で頑張って欲しい。

初の鎌ヶ谷でしたが、いろんなサービスがあり、地元ファンと一体となったいい球場でした。車を借りていったんですが、渋滞に巻き込まれたり、違反切符切られたりと個人的には、散々な一日でしたが、、、野球は楽しかったです。

3月 16

サーバントは直訳すると、”奉仕者”である。奉仕と聞くと、地域を代表して外掃除しているような人をどうしても思い浮かべてしまう。小学校の頃に、奉仕作業といった行事があって、いつも通っている通学路を定期的に掃除する機会があった名残だろう。

そんな話はさておき、昨今の新しいリーダー像として、サーバント・リーダーという形が、今、非常にもてはやされている。本著は、仕事にトラブルを抱え、修道院に癒しと新しいビジネス像を求めてセミナーを受けに来た、一人の男の学びを通して、この新しいリーダー像を紐解いていく。一緒に擬似セミナーを受けるような形で進んでいき、こちらも話を読みながらもいろいろと考えさせられてしまうのだ。

それでは本著の中にも出てくる、サーバント(奉仕:Servant)という考えがどこからくるのか、、、それは図で書くと直感的に分かりやすいので描いてみた。
スクリーンショット 2013-03-11 19.23.04
それぞれ三角で示されているのが会社組織だとする(ミドルクラスは専務でも、常務でもなんでもよかったが、ここでは部長にしている)。旧来の社長やCEOなど、トップから現場サイドに働く一般社員まで、裾が広い左側のような組織体系だとしよう。最終的に顧客に接しているのは、現場の一人一人の社員。彼らの上にマネジメントクラスがどんと居座り、売上が上がらないから、経費をカットしたいから、現場サイドを無視して、権力を振りかざしたとしよう。それは社員の向こう側にいて、本当は大切なはずのお客様まで悪影響を与えてしまう。そんなことはこの図からも一目瞭然だ。お客様から感謝され、多くの商品やサービスを買ってもらうには、お客様に接するはずの現場社員が活き活きとしていないといけない。そうなら、自然と会社組織は右側になるはずなのだ。これが新しいServant型の組織体系なのだ。

では、こうしたServant型の組織体系では現場が勝手にやって、マネジメントクラスはただ彼らの欲求を満足させればいいのだろうか? いやそうではないと本著は語る。

欲求じゃなくニーズに応える、奴隷じゃなくて奉仕者になるんだ。(P.131)

現場の構成員がこう働きたいというニーズに応えるということ、それが奉仕だと述べている。そのためにリーダーが必要なことは権力ではなく、権威が必要なのだ。

◯権力:たとえ相手がそうしたがらなくても、地位や力によって、自分の意志どおりのことを強制的にやらせる能力。
◎権威:個人の影響力によって、自分の意志通りのことを誰かに進んでやらせる技能。 (P.36)

そして、意志通りに動くということは、リーダーの意図を汲み取り、それを行動に移せること、すなわち

意図−行動=無 、 意図+行動=意志 (P.100)

なのだと。

思えば、働くという行為は、たとえ小さな範囲であっても社会を支え、社会を変えていくということ。だったら、自分自身も気持ちよく働きたいし、一緒に働いてもらう人にも気持ちよく仕事をしてもらいたい。それはすごくシンプルだけど、すごく大事なことなのではないだろうか?

最後に、本著にさっと書いてある素敵な言葉を。

あなたが生まれたとき、あなたは泣き、世界が喜んだ。あなたが死ぬときは、世界が泣き、あなたは喜ぶような生き方をしなさい。 (P.196)

3月 14

昨日に引き続き、人の死に向き合ったノンフィクション作品をご紹介(前回記事:「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」書評

本著「遺体ー震災、津波の果てに」は、まさに2年前の東日本大震災時、海部分のマチを失った釜石市が舞台となっている。遺体安置所となった市内の旧二中を中心に、そこに関わった地元の人々をインタビューをもとに書き起こしたノンフィクション作品になっている。実際に震災時、街全体が壊滅的な打撃を受けた陸前高田市のような場所ではなく、街の半分は津波の被害を受けなかった釜石が舞台になったのは、(著者も語っているが)被害を受けなかった街の人が、身近にある同じ街の人の死に向き合うことに注目しているのだ。それは日常生活が崩壊し、周りの世界が一気に地獄絵のような状態になったことだと想像に難くない。そんな地獄のような世界の中で、人が人としてどう生きるべきなのかを、この作品は教えてくれるような気がする。

「エンジェルフライト」では人の死と、遺族とを繋ぐ想いについて述べたが、この作品は同じ人の死でも見方が少し変わる。本著に登場する人たちは元葬儀社や地域の医師など、人の死に対し、関わりを持っていた人ばかりでなく、否応なしに当事者ではなくても人の死に向かい合わないといけない人たちもいたということだ。それこそ遺体などに触れたことがない人たちも関わらないと、物事が進まないような混乱。そこには多くの死に対して、遺体が本当に魂の抜けた”モノ”になってしまうような狂気もあったろう。単純な悲しみ、苦しみ以上に、人としてその地獄を生き抜くために必要な多くの要素があったことだろう。悲しい、確かに悲しいが、そこから進まなければ日常は戻らないのだ。でも同時に、残された多くの遺族とともに、苦労があっても一人一人の死に対して向かい合う尊厳さも忘れなかったことが、(単純な言葉ではあるが)凄いと思わさせられるのだ。

印象的なのは、ラストの部分で単身であったり、それこそ身内全員が犠牲になり、身元がわからず無縁仏になっている人たちにも触れていることだろう。そのような人も含め、犠牲となった方を弔い続けることが本当の復興なのだと思う。先立った人の想い、意志に触れ続けることが、遺された者たちの使命でもあるのだ。

preload preload preload