1月 27

”芸術は爆発だ!”で、僕らの世代は知っている岡本太郎氏の著作。僕も小さい頃はテレビで見たのを覚えているし、「太陽の塔」などで有名な芸術家ということも知っている。でも、ちょっと気取って、頭の切れている小柄な芸術家というイメージしかなかったのが、この本を読んで吹き飛んだ。それくらい強烈な一冊だったといってもいいと思った。

そもそも人間って何だろうか、、本を読んだ後の真っ先な感想はそれだった。この記事を書いている僕も人間であるはず。普通に寝て、食べて、仕事をする、そんな生き物なのだ。でも、岡本氏の言っている人間はもっと奥深い。というか、そもそも人間ってやつは動物であり、かつ想いや感情ってやつを爆発させることもできる、そう定義しているように感じるのだ。

そんな人間社会は、もともと個としての人間のあるべき姿とは真逆に発達してきた。科学が産業を興し、産業が経済を成長させた。科学ってやつは、論理や合理性というものを重んじる。そこには自然という脅威を如何に抑えこんで、人間が自然状態から脱して、よりよく生活しているようにしてきた。でも、氏は逆にそれが、人間の人間たるところを抑圧しているんだ、ダメにしているんだと声高に叫んでいるのだ。

人間って、考えれば考えるほど非合理な生き物だと思う。いくらメールやSNSが社会の基盤となっていっても、人と人をつなぐはずの言葉から、私たちはどれだけ相手を理解したといえるのだろうか。例えば、ラブレターを書くとき、そこに自分の本当の想いを載せられる人がどれだけいるだろうか、逆に、それを受け取った人が相手の想いをどれだけ感じとれているのだろうか(そういう意味では、こういう文章を書いている僕自身もいつももどかしいが)。。コミュニケーションというのはどこまで行っても完璧にはありえない、成功はありえない。それはそこにいる人間自身がそもそも非合理なんだから、成立するわけがないのだ。だからこそ、人間は非合理さがあることを受け入れた上で、自分が自分らしくあるために殻を破って生きていかなくてはならない。もちろん、それには社会からの抑圧も大きいだろう。感情爆発させる人に、社会はどこも冷たい。でも、人間は自分を破っていかないと、本当に生きてきたという心地はしないのではないかと思うのだ。

21世紀に入り、情報は確実に大量に、高速に世界中を駆けまわるようになった。それが新しい産業を生み、世界を小さくし、経済の構造も大きく変えていっている。でも、それに対して、人間は何百年、何千年と大きくは進化を遂げていないし、これからも大きくは変わらないと思う。だったら、もっと人間とは何かを理解することが必要なのではないだろうか。学校でのネットいじめに象徴されるように、情報だけで人間というものが大きく押しつぶされようとしている。テクノロジーの進化は止められないのなら、せめてそれを扱う私たち一人一人が少しでも変わっていかないといけないのだ。

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