10月 10

フランシス・ハ

「フランシス・ハ」を観ました。

評価:★★★★☆

ニューヨーク、ブルックリンに住む、なかなか芽の出ないダンサー、フランシスの日常を描いた作品。モノクロ映像ということやニューヨークを舞台にしていることからも、どうしても僕は好きなアレン映画の「マンハッタン」と比較してみてしまうんですが、「アニー・ホール」辺りの作品も含め、ウディ・アレンの描く女性像と、本作の監督ノア・バームバック(この人の「イカとクジラ」は傑作)の女性像を比較すると非常に面白いんです。アレンの描く女性というのは1970年代くらいから一貫して、ウーマン・リブというか、独立心旺盛な(当時としては)新しい女性像を描き、そこにタジタジになって振り回される男性がいて、でも、結局は恋に落ちていくという純な構図は変わらない普遍性をもった作品を描いていました。本作のフランシスや、彼女のルームメイトであるソフィも含め、独立心旺盛でどんどん自分から行動していく女性像というのは変わらないのですが、男性のほうもいわゆる草食化した存在に変わってきているのが面白いと思いました。アレン映画のときは、タジタジとはするものの、なぜタジタジするかというと男性であるということの根本は変わらなかったから。それが男性がより女性化して、核が見えないフワフワした存在に変わり、女性は女性で仕事においても、恋愛の場面においても、より積極的にイニシアティブをとるようになってくる。双方が性別を超えて、近寄ってくることで、男性・女性であることの区別がつかなくなって、より個として生きる時代になっているのだな、、、と何となく感じてしまいました。

だからこの映画、観ていて面白いのはフランシス、ソフィの両名に絡む男性陣も、映像から見ても男っぽさをあまり感じることがないところ。違和感なく、男女混合でも恋とは別に、友情として擦りあうことができてしまう。フランシスが男性二人の仲にすんなり同居してしまえたり、傍から見ると恋人にするような慰めあいでも、互いが恋愛と友情の区別をつけている。ここにある恋の形とは、対立する性が惹かれるというよりは、お金を持ってる、才能がある、ルックスがいいなど、あくまで外見の状況が少しあっただけで恋人同士と枠にハマってしまう、、これは現代型の新しい恋の描き方なのかなとも思ってしまいます。

そうした個が活きる時代に、フランシスが元気にスクリーン上を疾走していきます。しかし、この元気さとは裏腹に、彼女は自分の才能がなかなか伸びていかないことにいら立ちさえも覚えている。破天荒に、彼女はとにかく生きていくために、自分を殺しながら、いろんな人や親にも依存しながら、ドツボにはまる生活を受け入れていく。そこに果たして幸せはあるのか、、苦労しながら幸せをつかもうとしている姿は、現代を生きる人に共感を持って観れるように思います。

全体的に短く、内容の濃い作品に仕上げているのは、ノア・バームバックの才能を感じる部分。秋にふさわしい、魅力がいっぱい詰まった作品です。

次回レビュー予定は、「ウィークエンドはパリで」です。

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