2月 20

エクソダス

「エクソダス 神と王」を観ました。

評価:★★★

IMAXの3D字幕版にて。

イギリスでサー(ナイト)の称号を得ている映画界の重鎮といえば、サー・リドリー・スコットを、僕はまっさきに思い浮かべます。「エイリアン」、「グラディエーター」、「ハンニバル」と独特の映像美(僕はバロック調と評してましたが)で、物語の奥深さを見事に映像化するリドリー・スコット監督ですが、最近ではとっても多作な監督になってきました。一ファンとしては嬉しいところなのですが、一本一本のクオリティが右肩下がりのような気がしてなりません。近作では「悪の法則」は未見ですが、「プロメテウス」は冗談半分というところにしても、「ワールド・オブ・ライズ」や「ロビン・フット」などはどこか誰かが作ったようなものの二番煎じ感がどうしても拭えませんでした。本作、「エクソダス」はお話としては面白いと思うものの、例えば、「グラディエーター」のギラギラした魂の叫びみたいなのは感じられない。お話の展開上仕方ない部分もあるのですが、もう少し感情が心の底から湧き上がるようなシーンを構成してもらえないか(戦いや処刑シーンなど。どこか冷めてるんですよね。)と思うのです。

本作は、「十戒」や「プリンス・オブ・エジプト」などの映画でも描かれてきた、ユダヤ教の聖人・モーゼに纏わる物語。有名な、紅海を割り、ヘブライ人たちを約束の地に連れ出すシーンや石板で十戒を示すところは本作でも描かれます。「エクソダス」というタイトルには外出・出国の意味があり、これももとの物語が旧約聖書の出エジプト記を基にしていることに由来しています。まぁ、日本人にはこの辺りの宗教的な知識というのが分かりにくいですので、単純に兄弟のうち、王になりたかった兄と、神になりなくなかった弟という予告編通りの関係で観ると、すっきりとくるかと思います。

面白いのは、今まで「十戒」で描かれたような聖人としてのモーゼではなく、あくまで神の言葉を伝える伝道者でしかないという位置づけにしているところでしょう。本作では更に踏み込んで、モーゼ自身も神の存在を信じていない(というか信用していない)無神論者として描かれるのです。これはまるで、いい加減な解釈をして天変地異を起こす怒りの上司(神)に対し、上司をなだめ、部下たち(民)を平和な状況へ導こうと苦心する中間管理職のリーダーみたいな位置づけなのです。だから、モーゼ自身も神に堂々と意見し、神の行動を変えようとする。聞かん坊の神をなだめ切れなったときは、仕方なく尻拭いのために民に警告を出したり、兄のラムセスを説得して、被害を最小限に食い止めようとする。ここには民を思う、慈愛に満ちた聖職者の姿はないのです。

この奇抜な設定はそれはそれで面白いのですが、上記したように、たとえば不条理に処刑されるヘブライ人たちや、神の怒りを買うエジプト人たちに対し、モーゼも、兄・ラムセスも何の感情も示さないのです。モーゼはひたすら神をなだめ、尻拭いをし、ラムセスはハチャメチャにする(しているように見える)モーゼを怒りにまかせ、ひたすら追うという構図が続く。これでは感情の湧き上がりもあったものじゃありません。可哀そうなのは、そんな主人公二人の言動と、神に右往左往させられる民たちのみ。裏読みすると、これって何かを皮肉ってるんですかね。

次回レビュー予定は、「アゲイン 28年目の甲子園」です。

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