5月 10

ソロモンの偽証

「ソロモンの偽証 後篇・裁判」を観ました。

評価:★★★☆
(シリーズ全体では★★★★☆)

宮部みゆきの同名小説を、成島出監督で映画化した作品の後篇。前半となる「ソロモンの偽証 前篇・事件」では、子どもから大人への成長をキーに、子ども時代だからこそ成立するような正義への純粋な想いというところに心打たれ、高評価しました。その前篇を観ていたときにはあまり感じなかったのですが、この作品はミステリーとしても秀逸な味わいを出してくれている。原作を読んでいないということもあるのですが、前篇では冒頭の中学生の死から、次は何が起こるのかというところをヒヤヒヤ、ワクワクしていてみていて、時折挟まる各キャラクターのダイアローグから、事件の全体像はどうなっているのかを想像しながら観ていたように思います。それに対し、本作の後篇ではそのミステリー部分が解明されていき、事件の全体像が公になっていく。そこから各キャラクターのひと夏をかけた成長物語へと移っていくのです。

ミステリーになっていたところが解き明かされるということで、物語としての一応の終結点を見ますが、やはり謎解きは謎が提示されているときよりも若干面白さがなくなってしまうもの。上記したワクワク感みたいなものが作品からごっそりと削られてしまったので、ミステリー要素の面白さは半減してしまったなと正直感じます。通常の事件ならば、後半の法廷部分もリーガルサスペンスものに仕立てられる要素もあるのですが、ここでの裁判はあくまで中学生がやっているものに過ぎず、キャラクターたちが語っているように事件として有罪であろうが、無罪であろうが、犯人には何の処罰も下されない。通常の法廷ものと決定的に違うのは、この無罪でも、有罪でも事は変わらないというところでしょう。ここにサスペンス的な要素が入り込む隙間はないのです。

だからといって、この映画が面白くないかといわれると、そうでもないと思います。ネタバレになるので詳細は避けますが、この裁判が行われたということは、大人たちの中で事件というのが、当初からあらかた決着がついていたのではなかと思うところです。事件の真相は子どもたちが解き明かしたのかもしれないが、警察も深く関与してこないということは、大人たちの社会の中ではもうそういうことだと分かっていた。でも、子どもたちの手で事件を解明することが、中学校という狭い社会の中でも、彼ら彼女らが生きていく上で重要だったということではないかと思うのです。この辺り、事件の真実は分かっても、真相を違う意味で提示されなかったというところに違和感を覚えてしまう人もいるかもしれないですが。。

でも、ラストシーンはとっても晴れやか。大人でも、子どもでも共通しているのは、事件の真実を知ることで、そこで犠牲となった人の死というのを如何に乗り越え、生き残った人がよりよい明日を生きるかということ。事件によって傷ついた多くの人間も、裁判があったことで、逆に癒されたという面も丁寧に描いているところは、とても好印象です。普通の中学生へ、そして大人へと成長しようとする涼子たちの姿は、すごく晴れ晴れとしたものに映りました。

次回レビュー予定は、「バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡」です。

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