3月 25

ソロモンの偽証

「ソロモンの偽証 前篇:事件」を観ました。

評価:★★★★★

宮部みゆきの同名小説を、「孤高のメス」、「ふしぎな岬の物語」の成島出監督が映画化した作品。宮部みゆきといえば、ミステリー界の巨匠でもありますが、僕は「火車」くらいしか読んだことはありません。当然、本作も原作は未読なのですが、今回は成島監督の持ち味が十二分に発揮された傑作ではないかと思っています。成島監督の歴代作を観ていると、作品としては「フライ、ダディ、フライ」も観ていますが、なんといっても印象的だったのは「孤高のメス」だったかなと思います。銀のこしのようなフィルム感(使っているのかな?)に、揺れ動きながらも、常にまっすぐに自分を信じていく主人公のキャラクター描写が、まさに絵と一体に動いていく様は、これぞ映像作品としての映画と、立派に評せるような作品になっていたと思います。この「孤高のメス」以降、「八日目の蝉」にしろ、「聯合艦隊司令長官 山本五十六」にしても、目の前に突き付けられる事実(現実)と、それに悩みながら、対処しつつ前に進んでいくキャラクターをうまく描くことが、この人の持ち味になってきたかと思います。その意味で、本作は(後編はまだあるとしても)成島監督の集大成の1つになっているんじゃいかとも思います。

僕は最初予告編を観たときに、中学生が実際の事件を裁判するなんて、滑稽なごっこ遊びに過ぎない作品かと思っていました。でも、本作のテーマは違うところにあるんですよね。この裁判(裁判自体は後編)はごっこ遊びであるからこそ、子どもでしか成立しない、事件にかかわった人たちの本当の想いというところに焦点が当たってくるのです。別の作品の感想文にも何回か書いているように、大人って、この世の中が真っ直ぐじゃないということが分かっているから、人間の奥底に秘めている社会の矛盾や真実というつらいところに目を向けないように、嘘をついたり、隠ぺいしたり、それこそ見なかったようなフリをする。子どもはそれが分からないから、大人たちのそうした行動が欺瞞や偽善に見えてしまう。そこでは大人が子どもに向ける優しさというのが、子どもにとっては苦しみしかないのです。だから、子どもの世界だけでも、このような裁判という形でちゃんと真実に向き合い、自分たちでこの欺瞞化された出来事をを昇華しようとしていくのです。

本作は前篇なので、その裁判に向かうまでに起こる事件を描いていきます。この中で語られるのが、正しいことは正義なのかということ。よく言うように、この世に絶対的な正義として存在するのは一握りしかなくて、大半は一方や一部が悪であっても、それが多数派になってしまえば正義になってしまうということ。いじめを見たら助けなくちゃいけない、当たり前には正義なのかもしれないけど、そこに動くことができないのは悪なのか。いじめる側も親に一方的に暴力を受ける、これは防がなくちゃいけないけど、捌け口がなくなってしまうことは悪ではないのか。きっと、この世の出来事は、正義や悪事という両天秤で推し量ることはできなくて、きっと一人一人がどこまでで許容できて、どこからが許容できないのかということに過ぎない。社会のルールというのは、その許容できる最大限のところにしか線は引かれていなくて、それでは足りないという人の対立の中で、人は苦しんでいくのではないかと思うのです。

映画としてはそうした実社会ではなかなか解決されないような問題を、子どもたちが自分たちの世界の中だけでも解決しようと奔走する。僕はシチュエーションはだいぶ違うけど、1つの部活動みたいな課外活動なんだと思います。部活動っていうと何だか遊びのように聞こえるけど、そうではないのです。自分たちの力で制御でき、自分たちの世界の中で、自分を成長させてくれる場として、課外活動というのはあると思います。ただ、今回は人が死に、世間も大きく巻き込む事件になってしまい、必ずしも子どもの中だけでは制御できない問題になってしまっている。だけど、アプローチは同じで、自分たちの中で起こった問題を、大人たちを巻き込みながら解決していこうとしているんだと思います。テーマはすごく壮大なんだけど、1つ1つのシークエンスが着実に積み上がっていることに、僕は久々に感動しました。逆に、映画だからこそ成立する世界観なのかなとも思いますが。

後篇となる裁判編も、この前篇の盛り上がり度に負けない出来を期待してしまいます。

次回レビュー予定は、「機動戦士ガンダム THE ORIGIN Ⅰ 青い瞳のキャスバル」です。

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