5月 11

バードマン

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観ました。

評価:★★★☆

今年2015年のアカデミー賞最優秀作品賞受賞作。監督は「アモーレス・ぺロス」のアレハンドロ・イニャリトゥ。かつて「バードマン」というヒーローもので一躍世間に注目されたが、今は少し落ち目にある俳優が、自身が主演プロデュースをする舞台で復活を賭ける物語。主演は、本作でアカデミー賞主演男優賞候補になったマイケル・キートン。映画好きの人なら、キートンでヒーローものというと、”バードマン”よりもティム・バートン版「バットマン」でしょう、、と思うのですが、今のキートンの境遇を考えると、本作の主人公リーガンほど落ち目ではないものの、昨今に映画を観始めた人なら、すでに過去の人の部類に入っている感があるので、彼自身の物語も上手く映画の味として投影されているところも多分にあるのかなと思います。

イニャリトゥ監督は日本でのデビューとなった「アモーレス・ぺロス」でも、「21グラム」でも、「バベル」でも、カメラのフレームいっぱいに登場人物たちを映し出すというのが特徴。手持ちカメラのフレーム感も巧みに利用し、スピード感ある物語に、登場するキャラクターの納まらない心を見事に表現しています。僕はこういうやり方を”近視眼的”と呼んでいますが、他の監督でいうと「レスラー」のダーレン・アロノフスキーも近視眼的な作品を撮る人だなと感じています。この表現、ダイナミックで非常にいいのですが、同時に物語がどこか落ち着かなく、作品を一歩引いたり、高い目線から見ることをすごく拒むように感じて窮屈に感じるのも然りなのです。アロノフスキーは静と動のバランスをちゃんととるのですが、イニャリトゥはずっと動のまま(場面的には、静の部分も確かにあるんだけど)。おまけに、今回はリーガンが演じる劇場周辺のすごく狭いエリアで起こる物語なので、作品の拡がりというところを感じることができなくなっています。

それを覆すのが、ラストでの”バードマン”の降臨。この表現はすごく驚いたし、アカデミー賞の要素も、ほぼこの一点に尽きるといっても過言ではないかもしれません。狭い空間で起こっていた話が、このラストで大きく拡がり、更に現実と虚栄の境をも超越していく。ここでは何が嘘で、何が真実であるのかというのも、何が生で、何が死であるのかという境界さえも突き破っていくのです。しかし、これがリーガンも、その家族にとっても本当の幸せだったのか、、、これは観た人がどう感じていくかに(突き詰めると)なるんでしょうね。

キートンの演技も素晴らしいのですが、僕はそれ以上にお久しぶりにスクリーンであったエドワード・ノートンのカメレオンぶりが見事に感じました。序盤の、この二人の俳優が舞台が熱く交わす舞台論は、そのまま彼らの仕事の流儀にかぶってくるように思えてなりません。

次回レビュー予定は、「カフェ・ド・フロール」です。

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