5月 13

カフェ・ド・フロール

「カフェ・ド・フロール」を観ました。

評価:★★☆

「ダラス・バイヤーズクラブ」でアカデミー賞の主演男優賞をはじめ3冠に輝いたジャン=マルク・ヴァレ監督が、「ダラス~」を手掛ける前に手掛けた作品。1969年のパリで、ダウン症の息子を一人で育てるシングルマザーの物語と、現代のモントリオールで、人気DJとして活躍しながらも別れた妻と新しい妻との間で幸せを模索する男の物語とが交互に描かれる。時代も状況も違う2つの物語が並行して描かれるということは、作品のどこかでこの関係のない2つが密接にかかわってくることは自明ともいえるだろう。この設定はラストに登場するのだけど、僕は正直驚いてしまった。

本作を観ていて思うのは、とかく幸せという奴はコントロールにしくいものだということでしょう。シングルマザーのジャクリーヌはダウン症の息子を抱えながらも、彼と一緒につつましく生活を送ることに生きがいを感じていた。一方、現代を生きる人気DJアントワーヌは自身の仕事は成功していて、前妻との間に可愛い息子と娘をもうけ、その妻とは別れたものの、新しく妻にしたい女性も美人で、息子たちも慕っている。ここまで書くと、何不自由なことのないように生きている2人の人生という感じです。しかし、人間は惑い、そして成長していくもの。ダウン症の息子は教室の中で愛おしい存在を見つけ、ジャクリーヌの制御が徐々に効かなくなってしまうし、アントワーヌの前妻はもやもやする気持ちを解消することができず、そのストレスは夢遊病として姿を現してくる。息子たちも新しい妻より前妻のほうに絆を感じている。こうだと決めた人生も思うようにいかない、、、それは自分だけではなく、他者の存在がなければ人生生きていけないから当然のこと。しかし、思い通りにしたいという思惑の狭間で、人は苦しんでいくのです。

そうした2つの時代を超えた、幸せについての物語が、ラストのラストで衝撃的な結合点を迎えます。これはネタバレなので言及はしませんが、この奇抜な設定は、逆に前半に積み上げてきたよかった要素を吹き飛ばすとまではいわないものの、崩してしまったように思えてなりません。人を想い、逆に人によっても惑わされるということを、2つの物語で表現したという帰結にしておいたほうが、僕はむしろよかったように思います。このラストの設定は今までの作品でもよくあるパターンとは思いますが、これではSFとか、超常現象の類(これも、、ネタバレになってしまうかも)の要素が入ってしまい、ヒューマンドラマとは合いいれなくなってくるのです。ならば、逆に最初からネタ晴らしをしたうえで、違う形の物語として作品を構築したほうがよかったように思います。映画の雰囲気はいいんですけどね。

次回レビュー予定は、「ワイルド・スピード SKY MISSION」です。

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