5月 19

セッション

「セッション」を観ました。

評価:★★★

今年(2015年)のアカデミー賞助演男優賞を獲得した(教師役J・K・シモンズ)ことで、映画ファンにも話題ですが、独特の内容でTwitter上でも内容が酷いと一部言われているのが、本作「セッション」。名門音楽大学に入学した新入生のドラマーが、鬼教師の下で厳しく鍛えられ成長していく物語になっています。僕も観ていて少し閉口する部分があったのですが、この鬼教師のしごきが半端でないのです。パーカッションを少しだけかじったことのある人なら、初めてドラムスティックを持って叩いたときに、指がタコになったり、擦りむけたりすることはあるでしょう。ただ、手から大量に出血するまで、叩いてひたすら練習に励むという経験をした人はそうはいないはず。スティックで指が痛くなったら適宜休んで、違う練習をしていけばいい。しかし、そんな弱音は、この映画では通用しないのです(笑

僕は観ていて、人が持っているプライドというか、自分自身で推し量って引いている線というものを、ある程度大きく超えないと成長というものはないのかなと思いました。だから、変なプライドというのは最初からないほうがいいし、指導する側に立った時は、一度は本人が立ち上がれないくらい打ち砕いたほうがいいときもあるのです。悔しくて、泣いて、怒って立ち上がっていく。そうして手に入れた能力というのは、それ以前とは劇的に大きなものになっている。本人のプライドを傷つけないようにとか、誉めて伸ばすとは世間ではよくいいますが、あれば、一度プライドを失って這い上がろうとしている人に行う術。そうしたプライドが粉々になった先に、人の成長というものが位置づけられていくのです(現在の教育体制(学校でも、社会でも)ではなかなか難しくなっていますけどね。。)。

本作の主役アンドリューも同じく、名門の音楽学校に入れた力量は持っている。だから、自分の演奏に対しても、それなりのプライドを持っていた。それでひょんなことから、フレッチャーが指揮するスタジオ・バンドに加入でき、そこで成功を収めれば、音楽家としての未来は約束されるはずだった。しかし、そこで待っていたのはスカウトしたときとは別人の、鬼のしごき人フレッチャー。彼の理性を無視したような厳しい指導に、アンドリューは血反吐を吐きながらもついていく。しかし、事件はある日起こってしまうのだった。。

普通の師弟関係なら、厳しく指導はしても、どこかで弟子の作ったものに評価を与えるもの。しかし、この映画のフレッチャーが見せる笑顔の裏には、根が深い意地の悪さがどこまでも残っているように感じられてなりません。そんなフレッチャーに対して、アンドリューも彼自身の持ち得る力で対抗してくる。もう意地の張り合いでしかなくなってくるのです。ラストシーンでの演出があえて曖昧にしてあるので、観る人によって解釈が分かれそうですが、僕が見る限りは、最後までこの二人は相容れなかったのではないかと思いました。そうすると、この映画はどこまでも救いようのない話に思えてならないのです。

全編を彩るビッグバンドジャズ、そしてジャズらしいモノトーン的なカメラワークはすごく絶品なのですが、肝心のお話は、、、、という状況でした。。

次回レビュー予定は、「インヒアレント・ヴァイス」です。

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