3月 05

正月の日記にも書きましたが、今は京都の山科(大石蔵之介が討ち入りまで隠遁生活を送っていた場所)に住んでいて、4月終わりより東京に移ります。仕事の関係で東京の住むところが浅野内匠頭や四十六士が眠る泉岳寺の近くということもあり、赤穂浪士に勝手にシンパシーを感じちゃっています。そこで東京に移る前に、赤穂の義士たちにパワーをもらうべく、赤穂への旅行を決意しました。

まずは高松の朝から移動。今回の高松はとにかく寒いというイメージしかなかったな〜


なんか分からんけど、駅前にあった鬼のレリーフ。


まずは岡山までマリンライナーで移動。今回の旅では初めて電車を使います。


瀬戸大橋を渡るところでは天気も良くて、気持ちよかったです。

さて、岡山までマリンライナーで移動し、そこから赤穂線に乗り換え、終点の播州赤穂までやってきました。

赤穂といえば、赤穂の天然塩。それを使った赤穂の塩ラーメンを駅前ビルで食してみました。透明で飲みやすいスープ。さくっと食べることができました。赤穂にこられたらオススメです。


昨日に続いて、天気が微妙でしたが、とりあえず徒歩で赤穂城に向かいます。


平日のせいか、それともあまり賑わうところでないのか、赤穂は静かなところでしたw


城に向かう途中にあったのが、このいきつぎ広場。別に観光客向けの休憩所ではなくて、浅野内匠頭が江戸城の廊下で吉良を斬りつけ、その日のうちに切腹を命じられた後に、赤穂に主君の自刃を伝えに飛んだ伝令が息継ぎのために飲んだ井戸がここといわれています。


赤穂城に向かう道中も、白壁のお店が立ち並んで観光ムードを盛り上げています。あまり賑わいがないのがなんなんですがw


そうこうしているうちに赤穂城の大手門までやってきました。赤穂城は明治期の廃藩置県で、城自体も一回解体させられているので、今建っているものは現代になって復元されたものです。


でも、城内にある武家屋敷の一部は今でも残っていて、、


大石家の武家屋敷も門扉のところは残っています。


江戸からの早馬がこの門を叩いたと思うと感慨深いですね。この中は大石神社(京都のとは違う)になっていますが、ここはちょっと横道に逸れて、赤穂の歴史資料館に行ってきました。


ここは四十七士の物語だけではなく、赤穂の塩や赤穂城の変遷などの歴史を見ることができます。


ここまで来て、あまり時間がなくなってきたので先ほど素通りした大石神社を詣でます。


山門の外には最近作られた四十七士像が並んでいます。さっきの資料館よりも、ここの宝物館のほうが個人的には一見の価値がありです。討ち入りのときの道具や赤穂城明け渡しのときの貴重な資料が展示されています。


最後は浅野家の菩提寺でもある花岳寺を参拝。ここで赤穂の旅も終了です。

赤穂浪士の物語は史実と違い、歌舞伎で脚色されているところも多いですが、赤穂藩と討ち入り前後の義士たちの一義を実現させようとする思いは、経営学的にも参考になるところが多いです。大石蔵之介という人物も更に研究したいなと思わせます。

今回の四国から赤穂までの旅はいろいろ動きましたが、コンパクトでいい旅でした。こういうのもたまにはやらないといけませんね。次はどこにいこうかなw

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