10月 16

ドローン・オブ・ウォー

「ドローン・オブ・ウォー」を観ました。

評価:★★☆

「ガタカ」、「TIME/タイム」などのSF映画に一定のテーマを持たせた作品作りに定評のある、アンドリュー・ニコル監督作。今回はSFではなく、アメリカ空軍の誇る無人戦闘機ドローンを遠隔操作するパイロットに焦点があたった弾の飛び交わない戦争映画になっています。1990年の湾岸戦争以降、戦争兵器というのも技術として、どんどん進化していることは周知のとおり。特に、この映画に登場するような無人機ドローンに関しては、偵察のみならず、遠隔操作で高度数千メートル上空から目標に向かってピンポイントに攻撃できる。だから、兵士は戦場に行くことなく、アメリカ空軍基地で任務をし、遠隔で数十人を攻撃した後に定時で我が家に帰る。遠隔ではあるものの、人を戦場で殺しているという事実を抱えながら、平和な生活を営むことができるのか、、というのが、本作の1つのテーマにもなっています。

ですが、本作を観る限り、主人公トミーが抱える苦しみというのは、遠く離れた戦場で(兵士であれ)人を殺しているという事実ではなく、どちらかというとエースパイロットとして戦場でしか味わえない死を間近に感じる高揚感というところでしょうか。例えば、アフガニスタン派兵に絡む多くの映画に見られるように(例えば、「ハート・ロッカー」とか)、兵士というのは生きて帰れたという喜びよりも、生きていたと感じられる戦場より、漫然とした平和な日常のほうが苦痛という形で戦場に再び戻っていく人も多いと聞きます。トミーもディスプレイに描かれる人の残像や、その描かれた人の生死というよりも、自分自身がドローンパイロットである限り、戦場にいたときに感じられる生のリアリティに欠乏しているのではないか。だからこそ、表面上は幸せそうに見えても、内側から徐々に崩壊していく様が垣間見えてくるのです。

とはいいつつも、遠く離れて戦うという事実にリアリティがなくなるのも事実。映画ではその象徴として、姿の見えないCIAからの指示に従うという形で描かれています。それはまるでゲームのように、とにかく恐れを感じたら問答無用で脅威を排除したほうが都合のいいのは当然の帰結。だからこそ、現場での判断がある最前線での戦争ではなく、現場から遠く離れた遠隔操作の戦争では、結果はどんどん悲惨な方向へと流れていく。これも血を流し、命を落としている現場の惨状を、二次元のフラットなディスプレイでしか捉えられないからこそ起こるリアリティの欠如に他なりません。昨今の安保法案絡みで、徴兵制という言葉が一時期話題になりましたが、これからの戦争というのはむしろどんどん人を排除し、機械(ロボット)同士が人の代わりにやる戦争に置き換わっていくでしょう。しかし、その結末に待っているのは、その戦争に巻き込まれた人たちの悲惨な死であることを、この映画は予見しているような気がします。

次回レビュー予定は、「極道大戦争」です。

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