10月 21

きみはいい子

「きみはいい子」を観ました。

評価:★★★★☆

中脇初枝の同名小説を原作に、「そこのみにて光輝く」で注目を浴びた新鋭・呉美保監督がメガホンをとった作品。いろんな解釈ができる作品だと思いますが、僕は、まず「きみはいい子」というこのタイトルと、この内容からしても、世にいう”自己承認欲求”についての映画だなーということを第一に感じました。心理学者のマズローによって提唱されている、この”承認欲求”とは文字通り、自分が認められたいという欲求。とかく、小さい頃に普通の家庭で育てば、成長し、何かができるようになれば親や先生が誉めてくれた。しかし、大人になればなるほど、誰かによくできたと褒められることは、よほどできた会社で、できた上司がいるか、よほどできた家庭で、できたパートナーや家族がいるかしか、お目にかかることはない。いや、滅多にないといっても過言ではないでしょう。それでも人はこうした欲求を解消するために、いろんな代替手段や防御手段を探しながら、折り合いをつけて生きている。しかし、そうして生きることができない。不器用な人たちもいる。。本作は、そうした不器用な人たちの生き様を、優しい視点で描いていきます。

桜ヶ丘小学校4年2組を受け持つ新米教師・岡野匡は、教師という職業に対し、真っ向から向かっていこうとしない。だから生徒もついてこず、同僚教師からは嫌味を言われ、恋人にも真正面からぶつかることができない。一方、夫が長期海外出張で、一人で娘を育てる水木雅美は、わが子と真正面からぶつかれず、ご近所の体裁ばかりを気にして毎日を生きている。だから、幼い娘がやってしまう粗相に対しては常に腹が立つし、どうして思うようにいかないかという想いに苛まれていた。映画には、これ以外にも岡野のクラスにいて、暴力的な継父におびえる少年。夫に先立たれ、毎日の生活で振り向いてくれるのは、知的障害のクラスに通う小学生だけという老人と、様々に生き方に苦労する人々が描かれていきます。

観ていて思うのは、本当に自分の思い通りに生きるということは難しいんじゃないかという想いでしょうか。それは自分の性格的なものもあるし、育ってきた背景も違うし、今の生活環境というところもあるでしょう。素のままの自分を許してくれるほど世間は肝要じゃないし、かといって世間が望むような像に自分が演技をすれば、自分で自分を追いつめることにもなる。日本の社会も成長期から安定期に差し掛かり、個人の価値観も多様化していると頭では分かっていても、未だに他人の”変な”生き方は多様的と捉えられず、”変”と映り解釈してしまう。他人を認めるとは、こうした”変”という想いを究極的にはなくすことでしょうが、なくすことはできなくても、”変”も含めて、あなたという存在を認めますよと、みんなが思えることなのではないかと思うのです。多様な価値観の社会では、なかなか同じことに共感してくれる人を見つけるのも大変ですが、”変”を通じて、分かりあえることを努力していくことが、本作の大きなメッセージではないかとも感じるのです。

ドラマとしては前作「そこのみ~」ほど難しくはなく、一見すると何気ない普通のストーリーのように感じますが、中身は結構深いお話になっていると思います。「そこのみ~」の重苦しさに耐えられなかった人にも十分にオススメできる作品になっています。

次回レビュー予定は、「ヴィルサイユの宮廷庭師」です。

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