10月 30

みんなの学校

「みんなの学校」を観ました。

評価:★★★★

児童と教職員のみならず、地域住民も含めて、子どもたちを育てるという取り組みをしている大阪市住吉区にある市立大空小学校の一年を描いたドキュメンタリー。大阪市に自分が住んでいた頃から、もうかれこれ10年くらい経ちますが、未だに大阪の開けっぴろげで人に対して優しい気質というものは今も大好きです。でも、大阪に住んでいる方には申し訳ないのですが、やはり大阪という街は地域・区域によって、大きく都市のイメージが異なってきます。東京は葛飾区や江東区などの下町地域も含め、どの街も一定の華やいだイメージがありますが、大阪の場合はミナミにいくほどガラが悪く、街自体も薄汚れていくという印象が自分の中では拭えません。別にそれ自体が悪いわけではないけど、長年住んでいくとなると街のイメージというのはすごく大事だと思うのです。ましてや、子どもを育てる環境となると、、、ということに。本作は、そんな大阪でもミナミにある住吉区の公立学校が、そうした問題に立ち向かっていく奮闘記となっています。

日本ではお受験ブームというのは一時期ほどではないですが、幼稚園や小学校の段階でも、公立ではなく、私立やプライベートスクールを選ぶ親というのも一定層います。そういうところに通わせる親の気持ちとしては、とにかく落ち着いた環境で勉学や芸術、スポーツに勤しんで、早い段階から自分のやりたいこと、得意なことを見出してほしいという想いがあるのだと思います。他方、中学までは義務教育として、学校に通わなければならない日本において、公立の学校というのは、その地域に住んでいる全ての子どもたちが通ってくる(一部、地域をまたがった学校にも通える特例はありますが、、)。当然のことながら、賢い子もいれば、頭の悪い子もいる、内気な子もいれば、じっと座るのに耐えられない子もいる、すぐ手を上げる子や、障害を抱える子、学校に行くことを拒否する子、、などなど様々な子が通ってくる。クラス(学級)崩壊など、統率を図りたい教師側から見れば問題児と思える子でも、学校は受け入れなければならない。でも、形だけ受け入れて、迷惑になったら見捨ててもいいの? いいやそうではない。そんな学校から見れば、拒否される子でも手を拡げて受け入れる。本作は、そういう教師たちの熱い想いが溢れていて、目頭が熱くなってきます。

本作の(というより、本作で出てくる学校の)すごいところは、子ども、教師、親という三者だけではなく、そこに地域住民がちゃんと役割を持った軸として登場してくることでしょう。よく町や市の広報誌には地元の学校のイベントが書いてあって、参加してくださいレベルの巻き込み方と比ではありません。学校の中の校務なり、学校周りの環境をちゃんと住民が守り、教師の側も積極的に彼らにボランティアとして学校の中に入ってきてもらう。学級崩壊の1つの要因として、親と教師だけが大人の論理だけで学校運営を進めてしまう問題がありますが、そこに地域の人たちが第三者として介在することで、学校の自由度というか、物事に対する推進力というのが格段にアップしています。これはいろんな学校がモデルケースにできるんじゃないかなと思います。

子どもたちも机に座って学ぶだけではなく、教師や同級生と体当たりでぶつかり、笑い、泣き、怒り、わめきながら成長していく。こうしたいろんな経験ができた子どものほうが、大人になったときに周りより一歩進んだ人間になっていくのではないかとふと感じる作品でした。

次回レビュー予定は、「ヒトラー暗殺、13分間の誤算」です。

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