12月 25

007 スペクター

「007 スペクター」を観ました。

評価:★★

ダニエル・クレイグとしてのジェームス・ボンド第4作、007シリーズとしては第24作にあたる本作。監督は、前作「スカイフォール」と同じく、「アメリカン・ビューティー」のサム・メンデス。シリーズお馴染みのボンド・ガールを本作で演じるのは、犯罪者の未亡人を演じるモニカ・ベルッチと、ダニエル・クレイグシリーズとなってからの宿敵でもあるMr.ホワイトの娘役にレア・セドゥが出演しています。ちょうど前作「スカイフォール」で旧作の司令官であったMをジュディ・デンチから、名優レイフ・ファインズに引き継ぎ、Qも新しくなって、今作こそ本当のリブートになるかと期待したのですが、その期待は見事に裏切られた作品になってしまっていました。。

本作の駄目だなーと思うのは、前作のジュディ・デンチ演じるMの死から、MI6ビルの崩壊まで、”スカイフォール”同様にことごとく崩れたMI6がボンドの手によって復活してくるのでは、、という期待でした。それが前作「スカイフォール」でのラストシーンで、レイフ・ファインズ演じる新Mの存在と、ショーン・コネリーが演じるた頃のような臙脂色の司令官室の様子などに見て取れ、これは本作からリブート(再復活)した新しいボンドシリーズになるのではという期待でした。しかし、本作で敵になるスペクターという存在が、前作で焼け落ちた”スカイフォール”に関係してくるだけではなく、ダニエル・クレイグシリーズとなってから登場した今までの全ての敵を統括するような敵という、ファミコンでいうとボスを4体くらいやっつけた後に出てきた隠れ大ボスみたいな存在になっており、リブートどころか、それこそ今までのシリーズをずっと引きずった形になっていることに凄く違和感を感じました。Mr.ホワイトの存在や、冒頭にデンチ演じるMまで出してしまうという、「007 カジノ・ロワイヤル」から始まるダニエル・クレイグのシリーズを知らないと楽しめないような世界観になってしまっていることに、本シリーズの構成の仕方にそもそも疑問符をつけたくなるように感じました。

007シリーズの良さというのは、それこそ寅さんシリーズのようなお約束がしっかりと映画に刻まれているだけではなく、単体作品としても十分楽しめたところにあります。冒頭に必ずアクションシーンから始まること、ボンド・ガールが登場すること、分かりやすいイカにもな敵が登場すること、Qから与えられるスパイ道具を活用して策略し、大団円となる大仕掛なアクションで幕を占めること、、これら全てのボンド映画の要素を本作は満たしているものの、ダニエル・クレイグ版となってからは背景になるドラマの練り込みが濃くなって、ジェームズ・ボンドというキャラクターの人間味がシリーズドラマとして描かれるようになってくるのです。これはいい意味ではドラマとして肉厚になったこともあるのですが、悪い面では単発作として楽しめなくなり、シリーズとして観ないといけなくなると同時に、ショーン・コネリーから始まるダニエル・クレイグ版以前の過去20作品とは切り離して考えねばならない色合いが強くなってきているように思います。

僕が007を映画館で見始めたのは、ピアーズ・ブロズナン版の「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」(1997年)あたりからですが、やはりこの頃のボンドと、今のボンドは違うなーと思います。これだけボンドとしての人間ドラマが濃くなった要因として考えるのは、やはり今の世界情勢が硬派なスパイ映画とマッチングが取れなくなってきたからなのだと思います。先日の「コードネーム U.N.C.L.E.」の感想文にも少し触れましたが、スパイ作品活況の時代はやはり冷戦下であり、対共産主義、もしくは二大勢力に挟まれた第三極という分かりやすい敵を仮想化していました。ところが共産圏が崩壊し、一時は北朝鮮やイラクなどのいわゆるテロ国家というものが敵として描かれた時期もありましたが、いまや世界が相手にしているのはイスラム国のような反社会勢力という、従来のような土地や国民を持っている国というアイデンティティーを必ずしも持たないという敵に変化しており、国家という分かやすい対象がなくなってきたことも要因になっているのでは?と推測します。だからこそ、本作のような変化が今後のスパイシリーズの基本となってくるのかもしれません。

兎にも角にも、この007シリーズが次回どのような変化を見せるのか、、ラストで立ち去るボンドの後ろ姿を観て、期待とそれ以上の不安で胸いっぱいになる作品でした。

次回レビュー予定は、「Re:LIFE」です。

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