「怪しい彼女」を観ました。
評価:★★★
アジア映画の中で、ずっとパワフルな作品を産み出し続けている韓国映画。韓国映画のいいところは、役者の美貌、、、だけではなく、ありえないような設定でも、ありうるところに持っていってしまうこと。ちょうど、今年の初めに観た「7番房の奇跡」という作品も、刑務所の中で子育てしてしまうという現実では考えられない設定。。それを単なるファンタジーにせずに、ちゃんと地に足ついたヒューマンドラマに仕立ててしまうのはさすがだと思います。本作「怪しい彼女」も、70歳のおばあちゃんがある魔法で若返ってしまい、自分の人生を再出発していくという奇想天外なストーリー。それでも、家族の在り方や自分の人生にとって大切にしたいものなど、至るところに映画作品としての問いのようなものが散りばめられていて、またも見ごたえ十分な作品に仕上げてくれています。
ただ、この作品、こうした奇抜な作り方がすべてハマっているかといわれると、正直難しいなと感じる部分もあります。これは作品自体がどうのこうのではなく、日本の感じ方と、韓国での感じ方が微妙に違うところがあるのかなという点です。例えば、いつも口うるさい主人公マルスンが息子の嫁にとる態度が非常に横柄な割に、若返ったオ・ドゥリとしてとる行動から、その嫁の苦労をよく理解したようには思えないところ(だからラストもあまり感動がない)など、そもそも70歳だったマルスンが、なぜ人に横柄に接してしまうのかという理由がよく理解できず、オ・ドゥリとして再出発したいという強い動機に結びついていないように感じました。横柄になってしまう原因が、社会に対して強く生きていくための防御策だったのか、そもそも韓国では普通に理解される国民性みたいなものなのか、何かこうにしか生きてこれなったというキャラクター像みたいなものの組み上げが、日本では理解されないように思ってしまいました。
このあたり、例えば香港映画とか、台湾映画のようなところにいくと、ナイーブなキャラクター像を作るのが上手いんですよね。国が違えば、歴史も違う、、だから、感じ方も違うのは当然なのだと、映画の本筋とは違う理解ができた作品でした。
次回レビュー予定は、「ミスターGO」です。
こんにちは^^韓国人です。
まず、人間は自分が苦労を経験すれば、自分よりひどい苦労を経験しなかった人たちの心情を理解し難いのです。
たとえ、私は過去に貧しかったけど一人で勉強した父はお金を儲けて、子に良い環境と環境を作ってくれたが,小さな事にストレスを受けて困難であるとすると、理解ができません。これは生きてきた人生の環境と経験でたまった自分たちの人生の基準です。
これを普通のジェネレーション・ギャップと言ったりもします。人間は老いては考え方がよりいっそう固着化されており、単純化されます。これらの過程で、自分よりもっと良い環境の中で暮らしている嫁の苦労を理解しないのが一般的な人たちです。
映画は無理に線を追求して和睦に誘導するのではなく、現実にいる両親たちはこのように単純で自分の考えが強いために彼らにあなたたちの考えが間違っているだけに変えてください。とメッセージを強く伝えていません。人生を大変に生きてきた世代のおばあさんと両親を若い人たちが理解しなければならないと伝えています。おばあさんたちは長生きできない、また、過去に子供たちのために献身したが,もう必要ないと捨てるそんな子供たちにならないというメッセージです。
最後に見ると、嫁がいつもおばあさんの言葉にストレスを受けたが、後にはそれを柔軟に対処して渡す場面が出ます。つまり、おばあちゃんの言葉にあまりにもストレスを受けずに柔軟に対話を通じて解決するという方法を提示します。それで嫁はおばあさんにこれまで何も言わずに沈黙して苦しみたが、最終場面では嫁もお婆さんに一言いいながら、自分の考えを伝える場面があります。
現実的に固着化して固定された考え方を持った人たちの考えを簡単に変えることはできません。
もしおばあさんが若返って帰って嫁を理解して,優しいお祖母さんになったら、すべての嫁たちはおばあさんの考えが変わることを望むことです。現実で、私たちが年長者の対面している時に彼らを理解しなければならない面があることが韓国社会の考え方です。
今日、韓国社会でも年老いた親を捨てたり、療養院に送ったり、親より妻をもっと愛してる姿が増えたために、社会的に私たちが弱者を保護して、おばあさんと年老いた親たちを理解して受け入れて、抱かなければならないというのが一般的な韓国社会の考え方です。
おばあさんが若さを通じて変化していたならば、結局、おばあさんに不和の原因を探しておばあさんが変化することを願ってお婆さんにのせいにするのより、若い人たちが、彼らを理解して抱かなければならなものが現実的な答えだと伝えているのです。
また、映画だから、おばあさんが悪口をたくさんして、課長をしているのです。
韓国映画は人為的に線を誘導して無理にハッピーエンドで終わるのではなく、現実的に仕上げをして共感帯を形成することです。
もし嫁がお婆さんを理解して嫁の過ちに導くば、たくさんの親が嫁にこの映画を見て学べ!といい、のせいにするかもしれないですし、おばあさんが若さを通じて気づいて嫁を理解したら、息子の嫁たちがお婆さんを責め、これは我が夫の両親たちが見なければならない映画だと言うかもしれません。
そんなのではなく、相互に共存しながら理解して大変に頑張って生きてきた両親を理解して彼らを抱いてくれたほうが弱者を保護し、年老いたおばあさんを理解する若い人たちの道理であることを伝えているのです。
そして映画であるため、あまり深く考えずに、コミックに導くためにはこのような悪口を良く言うお婆さんキャラクターが必要なことですね^^
>davidさん
コメントありがとうございます。
他者の気持ちが分かりずらいというのは、韓国、日本と国の違いではなく、どこでも同じことだと思います。特に、世代間のギャップとかになると、日本では「最近の若い者は、、、」という言葉に代表されるように、自分たちの世代の価値観にないことは、積極的に理解しようとしないのは(残念だけど)仕方がないことなのかなと思います。
ただ、そうしたギャップがあったとして、それをあからさまにする・しないは、文化の差があるのかなと思います。嫁姑関係は日本でもありますが、あからさまに悪口という形で攻撃することはあまりなく、どこか陰湿ないじめみたいな形で表れる(すべてがそうだとはいいませんが)ことが多いんじゃないかとも思います。
ギャップはあるのは仕方がないとして、お互いが歩み寄れるよう、こうした映画というエンターテイメントの中で、楽しく相互理解ができればいいんじゃないかなと個人的には思いました。