12月 22

ゴーン・ガール

「ゴーン・ガール」を観ました。

評価:★★★★★

題名だけ見ると、日本なら”鐘つき少女”みたいな感じがしてしまうけど、英語表記で「GONE GIRL」となり、さしずめ、”いなくなってしまった彼女”というところでしょう。この映画、邦題はイケていないですが、予告編の作り方はとにかく秀逸でした。”いなくなってしまった彼女”の”いなくなってしまった”という部分が、夫の隠された裏の顔のことをいっているのか、逆に”いなくなってしまった”彼女の策略だったのか、はてまた第三者による陰謀なのか、、、いろんな可能性を直接的に描くのではなく、どんどんめくれるシークエンスごとに、観ている側の気持ちが夫側に傾いたり、妻側に傾いたりする。予告編毎に味付けが微妙に変えてあるので、これを観ただけでも、ただならぬ映画の予感をしていました。

さて、本作のほうは予告編以上に切れ味鋭いものでした。映画は妻がいなくなった、その瞬間から時系列で描かれていきます。不安に教われる夫。しかし、世間への対応のまずさから夫自身もどんどん追い込まれていくことになります。一方、そうした世情とは裏腹に、事件の底辺で、ある別の陰謀が夫を襲ってきます。その陰謀を書くとネタバレになってしまいますが、映画の中盤から描かれる、時間を一回冒頭に戻したうえで、失踪した妻側から見た事件の経過で、陰謀は徐々に明らかになってきます。果たして、その陰謀は誰の策略によるものなのか、映画の後半は前半の失踪劇とは一転、誰が事件の勝者というカードを切るかというポーカーゲームのようなスリリングな作品へと変貌していきます。これは凄い。

本作の監督は「セブン」のデビット・フィンチャー。先日、「インターステラー」の感想文で、「インターステラー」の監督、クリストファー・ノーランは見えないものを映像化する作家だと書きましたが、デビット・フィンチャーはまさに、その見えないものへの恐怖や不安に対峙する人たちを描くことに、とことん執着している監督だと思います。「セブン」や「ドラゴン・タトゥーの女」では狂気を信条とする殺人犯を追い求めながら巻き込まれる人たちを、「ゾディアック」では連続殺人鬼に身も心の奪われる報道家を、「パニック・ルーム」では文字通り侵入してくる正体の分からない犯人たちに完全武装の部屋で対抗する家族を、「ソーシャル・ネットワーク」では企業という集合体の中で事業という見えないものに翻弄される人々を、「ファイト・クラブ」では自分の存在下という自分さえつかみどころのないものを、「ゲーム」では自分の生き方という見えないものをコントロールされる恐怖を、、という風に、作品は多彩ですが、その根底に描き続けるものはどの作品でも変わることないのが、巨匠といわれる所以でしょう。本作は完成度もピカイチで、とにかく人を飽きさせることがない。人は生きるということに関しては、常に安定を求めたがる生き物ですが、人が人と関わり、社会を形成した時点で不安という恐怖が沸き起こってくるものだと痛感します。人って、怖いですね。

少々上映時間が長い映画ですが、「インターステラー」と並んで、今冬では見逃せない作品の1つだと思います。

次回レビュー予定は、「メビウス」です。

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