8月 18

彼は秘密の女ともだち

「彼は秘密の女ともだち」を観ました。

評価:★★★★

愛しているともとれるくらいの幼馴染の友だちが死に、彼女の夫と彼女の死を慰め合う主婦クレール。彼女の前に現れたのは、その夫が女になった姿だった。。。「まぼろし」のフランソワ・オゾンの2014年製作作品が日本でも公開となりました。性を超越するオゾン監督の力量が本作でも如何せん発揮されているし、ある意味、エポックメイキング的な作品になったのかもと思わせる節を至る所に感じることができます。主演は「間奏曲はパリで」でも美貌を垣間見せ、本作でもその力量を発揮しているアナイス・ドゥムースティエ。女ともだちになってしまう夫を演じるのは、「真夜中のピアニスト」のロマン・デュリスです。

普段の生活の中でも、見えない境界線というものが至るところにあると思います。どこかお店に行けば、お客と店員という線があるし、仕事の中でも部署や上司部下の中に線があり、家庭生活でも夫、妻、親戚、近所などなど、それぞれの役割によって、その世界があり、その世界の間には見えない境界線が引かれているのです。よく思うのは、多分愛というのは、その線を尊重しながらも、時々はその線を飛び越えて、相手の懐に飛び込むということ。人は、それぞれの世界の中を大事にしているし、だれにも犯されたくないと思っているんだけど、同時に、その世界の中に誰かを引き込みたい、一緒に夢を見たいと思うのも事実。単純に男と女の愛情というだけではなく、人と人との交わりの中で普遍的な愛というのは、境界線を尊重しつつ、その線をも超えるような関係の中で構築されていくものなのかなーと漠然と思います。

オゾン監督の凄いのは、各作品の中でそうした境界線を感じない、フラットな人間関係を描いていること。男女差なんて超えるのは当たり前。ときには生死の境(「まぼろし」、「ぼくを葬る」)や、犯罪の境(「クリミナル・ラヴァ―ズ」、「焼け石に水」)、妄想と現実との境(「危険なプロット」)をも超えていく。その意味で、本作は愛するローラの死に対して、絶望する二人(クレールと、夫ダヴィット)がどのようにローラの死を乗り越えていくか(線を越えていくか)という普遍的な愛の物語を描いているのです。その中で、ダヴィットは女友だち・ヴァルジニアに変身を遂げることで、ローラを身近に感じようとする。ゲイだとか、トランスジェンダーだとかは関係なく、そこには一人の人間が当たり前のように死に向かい合う姿がある。最初は変に思うクレールも、自然とヴァルジニアに想いを寄せるようになるのです。

異様な世界感を、あくまで普通の物語として描いていくオゾンの姿勢は真っ当そのもの。逆に、世間が”変!?”と思う姿を滑稽なコメディ要素として、物語の中に織り込んでしまうのです。「まぼろし」のような大胆な設定美はないものの、ますますオゾン作品が好きになってしまう小気味いい小品だと思います。

次回レビュー予定は、「種まく旅人 くにうみの郷」です。

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