9月 17

トゥモローランド

「トゥモローランド」を観ました。

評価:★☆

ウォルト・ディズニーが未来に残した資料をヒントに、ディズニーランドでも人気のアトラクションエリア、”トゥモローランド”をモチーフに使った作品。映画の中でも、アトラクションは出てきますが、東京ディズニーランドのスペースマウンテンとかあるエリアを想像すると、映画には直接的な関係はない模様。映画としては、題名通りに未来を託した地を巡る物語になっています。監督は、「Mr.インクレディブル」や「アイアン・ジャイアント」などのアニメ界での功績が光るブラッド・バード監督が手掛けています。

そもそも未来と聞くと、皆さんは何を想像するでしょうか? 僕だったら、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に描かれたような奇抜な世界、「ドラえもん」に描かれるような便利な道具に囲まれる世界、子どもの頃は、それこそ学研の科学に描かれたような近未来都市みたいなものを想像してしまいます。そこはロボットと人工知能と、高度なバイオ技術とIT社会であり、人々が何不自由なく暮らせるような理想郷といったところでしょう。でも、ここ十数年を考えてみても、PCは確実に速くなったし、携帯電話はスマフォ化して、映画やゲームさえ、迫力あるものが本当に安く実現してしまう。エコカー、太陽光発電、ロボットなどなども一般的になってきて、1990年代と比べても、今は確実に未来でいろんなことが便利になっている。でも、果たして僕らが小さい頃に想像してきた未来に近づいているのか、、といわれると、そういう実感はない、、、というのが多くの人の認識なんじゃないでしょうか。

じゃあ、僕らが考える理想郷ってなんだろう? そういう未来を描いたのが、本作だと思います。ここでは未来という概念が、「ドラえもん」のタイムマシンのように今の地続きには描かれず、科学者たちが作る異世界の理想郷として描かれるのです。それにアクセスする手段は、小さなピンバッチ。偶然そのピンバッチを手に入れたケイシーは、その未来世界”トゥモローランド”の不思議で楽しい世界に魅了されていきます。しかし、ピンバッチをケイシーの鞄に紛れ込ませた、謎の少女アテナには別の狙いがあったのです。それは、やがて”トゥモローランド”に訪れようとする危機と関係が出てくるのです。

映画自体は序盤の”トゥモローランド”の描かれ方も楽しいし、お話自体も大きな崩壊はないのですが、やはり僕は”トゥモローランド”自体の存在意義が少し相容れない感じがしました。これは科学者とか、一部の頭のいい人たちの独善ではないかと。直接的には描かれないけど、今の現実世界をどうでもいいというような形の”トゥモローランド”というのが世界に危機を与えるのなら、その存在すら抹殺すべきなのではないかと思ってしまうのです。でも、それを裏切るようなラストの幕引き。これにはううん、、、と腕組みをして、考えざるを得ませんでした(笑。皆さんは、どうお考えになるでしょうかね?

次回レビュー予定は、「Dearダニー」です。

9月 16

天空の蜂

「天空の蜂」を観ました。

評価:★★★☆

日本を代表するミステリー作家・東野圭吾の同名小説を、「20世紀少年」の堤幸彦監督が映画化した作品。映画の舞台が1995年になっているように、この原作発表も1995年になっている。僕はちょうど高校1年くらいでしたが、当時はまだ携帯電話すらも珍しかった時代。普通の原作ものなら、物語は変えずに時代設定を現代にしたりという工夫をするところですが、この映画はあくまで小説発表時の1995年にフォーカスしたままの作品になっています。実は、これがこの作品の肝でもあり、面白くしているエッセンスにもなっているのです。

1995年8月8日、全長34メートル・総重量25トンを誇る自衛隊用超巨大ヘリ『ビッグB』が国産ヘリとして華々しく登場する予定だった日。遠隔操作も可能という、このヘリの特性を利用して、発表式の前に突如何者かの無人操縦によってハイジャックされる事件が起こる。ビッグBの向かった先は、敦賀にある最新鋭の原子力発電所『新陽』の上空。犯人グループの要求は『新陽』をはじめとする、日本国内すべての原子力施設を破棄すること。要求が受け入れられない場合は、ビッグBを新陽の上に落下させ、日本国土の半分を居住不能にするというものだった。更に、無人と思われていたビックBの中には、ビッグBの設計士・湯原の息子が偶然乗り合わせていた。日本と一人の少年を守るため、男たちの戦いが始まっていく。。

映画のポスターが何か古臭い90年代のアクション映画を思わせるように、映画の序盤はかなり大味な形で物語が進んでいきます。息子を何とか救い出したい湯原、原子力発電所・新陽を守る所長をはじめとしたスタッフと、新陽の設計士・三島、そして犯人グループの正体を暴こうとする刑事たち。形としては群像劇っぽくも仕上げられるのでしょうが、序盤は熱血漢というか、焦りにも似た暴走をする湯原と、冷静沈着な三島とのやり取りがとても暑苦しく、古めかしいドラマと、緊迫感の薄いアクションの数々に、これは久々に駄作にハマってしまったかという危惧すら感じられました。

ところが、中盤の湯原の息子の救出劇から、作品がアクション映画から社会派サスペンスドラマへと一気に移り変わります。この色合いの変わり様には正直いい意味で驚きました。今までのノッペリとしたアクションから、息子の救出劇で手に汗を握らせ、そこから国と、企業、原子力発電所、警察といった、それぞれの枠でのドラマが急に熱を帯びるのです。詳しくは是非観てもらいたいと思いますが、やはり見ものなのは、国という見えない巨大な力によってもてあそばれる個々の悲哀といったところでしょうかね。それが1995年といった時代から、3.11(東日本大震災)へとつながっていく。具体的な描写はないですが、やはり国の無策ともいえる原子力政策と、福島原発の現場で血のにじむ努力をした人たち、そして原発の被災にあった人たちを思い起こさせます。ここまで国という暗部をうまく描いた形のサスペンス映画も、日本には今までなかったように思います。

今、この感想文を書いているときは安保法案の是非が問われていますが、現場で働く自衛隊や、その家族の存在をどれだけの人が考えているでしょうか。医療や介護の分野でも、現場の頑張りに対し、社会政策という大きな枠組みはいつもずれた議論しかできていないように思います。こういったことは至る分野でも起こる問題なのでしょう。東野圭吾作品らしい、どこか大きな社会の問題を、一流のエンターテイメントに上手く昇華できている良作になっています。

次回レビュー予定は、「トゥモローランド」です。

9月 15

トイレのピエタ

「トレイのピエタ」を観ました。

評価:★★★★

手塚治虫晩年の病床日記をヒントに、松永大司監督が脚本・監督を務めたのが本作。題名にあるピエタとは、美術に詳しい人だったら知っているかもしれないませんが、聖母マリア像の中でも亡きキリストを抱える像のことを指す。ミケランジェロなどの作品でも有名ですが、本作でもピエタが象徴的な形で登場してきます。主演はロックバンドRADWIMPSの野田洋次郎、ヒロイン役の印象的な女子高生・真衣を「繕い裁つ人」やTVドラマ「夜行観覧車」で印象的な演技を魅せた杉咲花が演じています。

画家を目指していた園田は、その夢を諦め、窓ふきのバイトで日々をやり過ごす青年。逆に、園田の恋人で、美大の同窓生のさつきは何とかして画家の道を目指すべく、個展開催へといそしんでいた。そんなある日、園田は身体の不調を感じ、病院へと担ぎ込まれる。精密検査の結果、彼は余命3ヶ月ほどの末期の胃がんであることが発覚する。さつきとの間も険悪で、実家の両親にも今更頼りたくない園田は、病院で因縁をつけていた女子高生・真衣に声をかけ、彼女に医者の前で偽装の妹を演じてもらう。最初は風変りな依頼に首をかしげながらも、園田との間の不思議な交流を続けるのだった。。。

人の人生というのは、生まれた瞬間から始まり、いつか終わりが来る。そのいつかというのは誰にも分かるものではない。だからこそ、人は一生懸命に生きるのだけど、世知がない平凡な日常だとそれをいつしか忘れそうになるもの。しかし、人の命に限りがあるからこそ、人は瞬間瞬間で光り輝くものだと、この映画は教えてくれているように思います。短くしか生きられない人も、思いのほか長生きする可能性が見えてきた人も、この映画にはたくさんの生き方をする人が、主人公・園田の前に現れます。彼は自暴自棄になっていた自分の生き方に対し、決して満足いく答えは見つからないものの、その中で自分の生き方を徐々に見つけ出していきます。人生の終わりというのは、その人にとっての生き方を閉じる旅。彼が最期に行きついた”トイレのピエタ”はその象徴であり、だからこそ、ピエタ像は生きていく我々に迫る迫力を魅せてくれるのです。

次回レビュー予定は、「天空の蜂」です。

9月 10

ナイトクローラー

「ナイトクローラー」を観ました。

評価:★★★☆

「ボーン・レガシー」で脚本を務めたダン・ギルロイが、監督として初メガホンを取った本作。夜の闇夜に紛れ、事件現場に一番にたどり着き、視聴者が喜ぶような衝撃の映像を撮るフリーのパパラッチを主人公にしたお話。主演は「ミッション8ミニッツ」、「ブロークバック・マウンテン」などの作品で知られるジェイク・ギレンホール。最近の彼は大作というより、比較的小規模な作品に出ることが多い印象ですが、彼の悪っぽさ(悪役とは言いきれない)をスクリーンで観たのは初めてな気がします。

一昔前までは暗号を語っているような警察無線のやり取りも、ネットが普及した今、素人でもどんな事件が巷で起きているかが、すぐにわかってしまう時代。その中でも、事故や事件の悲惨な映像に注目が集まる大衆心理は今も昔も変わりはない。そうした映像媒体が放送局によって高価に買い取られることを知ったジェイク演じる主人公ルイスは、他のフリーのパパラッチを見よう見まねでフリーランスとしての活動を始めていく。次第に、どんな映像が高価にさばけるかのコツを掴んだ彼は、いち早く事件現場にたどり着き、衝撃的な映像を撮ることに成功していく。しかし、行動はエスカレートし、警察より先にある事件現場に到着した彼は、驚くような行動を取りはじめる。。

ニュース映像というのは、事件なり事故なり、事実をカメラに押さえるのが基本。しかし、映像をメディア媒体の1つと考えたとき、その映像から視聴者にどういう物語を語ることができるのかということを放送側は憂慮する。それはさもすると報道という枠を飛び越え、映像媒体自体に集客力があればいいという、エンターテイメントに変わってしまう。最初からエンターテイメントとしてつくられるメディアとは違い、ニュースを加工して、あたかもストーリーがあるように作られるというのは観る者を欺くことに他ならない。ましてや悲劇的であるほどいいというメディア製作側の暴走は、事件被害者にとって悪害にもなってくる。当たり前だけど、そうしたメディアの暴走が良からぬことを生むという現実を、この映画はすごく楽しく(あくまで映画作品としてですが、、)伝えているように思います。

個人的に面白いなと思ったのは、この手の映画はメディア側の暴走ということに話のオチを持っていきやすいんですが、あくまで職人のごとく腕を上げていくルーの冷静な狂気っぷりに焦点をあてていることでしょう。これにより、ラストのオチも当たり前に落ち着かなかったのは、逆に恐ろしさを感じてしまうような結末になっていると思います。ただ、もう少しルイスの狂気っぷりが、大きな事件として発展するという展開にならなかったのが少し物足りないところ。ジェイク自身も凄く突っ走った演技をしているのに、それを発揮するようなシーンが足りなかったように思います。事件の顛末を描くところも何だかあっさりしているので、ここにもう少ししつこさがあれば、作品として映えたように思うのです。

次回レビュー予定は、「トイレのピエタ」です。

9月 09

あん

「あん」を観ました。

評価:★★★☆

「萌の朱雀」や「殯の森」などの作品で、国際的にも高い評価(「殯の森」ではカンヌ国際映画祭グランプリ受賞)を得ている河瀬直美監督。いつも無名俳優か、一般人を使うことの多い彼女が、樹木希林や永瀬正敏など大物俳優を起用した本作を手がけたのは少し意外な感じがしました。また、本作はパフォーマーとしても活躍しているドリアン助川氏の同名小説をもとにした作品となっています。

河瀬監督は前述した「萌の朱雀」、「殯の森」の二本しか観ていませんが、本当に独特の作風をもっている監督さんだと思います。どういうものかというと、安直に人にオススメできないなという感じです(笑。河瀬監督自身の演出方法が、役者に対して、撮影期間中はその割り当てた役柄でいることを求めるということをどこかで聞いたことがあるくらい、役者が演じる、その役の日常を切り取っていくという形で作品を紡ぎだしていくのです。もちろん、自身が脚本をも担当しているので、お話の中でいろいろなきっかけやシーンは構成していくのでしょうが、カメラを回している中でも、1つの出来事を起因とした細かい周辺ドラマも即興的に撮っているような気がします。なので、作品はすごく散文的で観ているこちらはすごく集中力を高めて観ないといけない。カンヌの各賞を受賞するくらいに、映像作品としてはフレームワークも、その中のいろんな映像の要素もアーティストティックなのは分かるのですが、各キャラクターの動きに統一感がないので、なんのお話か観ていて理解することは困難なような気がしてならないのです。

しかし、この「あん」に関しては、そうした従来の河瀬監督作品(といっても二本しか観てませんが)の中では、すごく初心者向きというか、商業的にも成功させるために分かり易い形になっていると思います。観ていて、ちゃんと話の筋が理解できるし、樹木希林や永瀬正敏などの俳優陣も、そんな奇抜な動きをするわけでもない。落ち着いた形で淡々とお話が過ぎていくし、その中でも河瀬監督らしいカメラワークや光の使い方の絶妙さも感じることができる。そういう意味で、河瀬監督入門編としてはふさわしい形になっていると思うのです。

作品のテーマとしては、そうした淡々とした日常の中で、ごく当たり前のようにはびこっている差別や社会の非情さというところに焦点が当たっています。樹木希林演じる徳江はハンセン病を抱えながらも、社会と関わり合いながら、ごくつつましく生きていきたいという健気な想いを抱えた女性。徳江は美味しい”あん”を作り、人々はその美味しい”あん”を食することで、日常のつつましい幸せを感じることができるはずだった。しかし、そうした平和に見える日常でも、ごく一部の人たちの傲慢や偏見によって、そうした小さい幸せを願う人たちの想いというのは無情にもつぶされていく。スクリーンに映る日常が最後の最後までまぶしい中で輝いているだけに、逆に日常に見えないそうした人の暗部より如実に映る秀作だと思います。

次回レビュー予定は、「ナイトクローラー」です。

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