2月 03

劇場未公開作品ながら、じんわりと来る映画を観たのでご紹介。

ディア・ダディ

「ディア・ダディ 嘘つき父さんの秘密(原題:WORLD’S GREATEST DAD)」

<あらすじ>※WOWOWより
作家になる夢を持つシングルファーザーの高校教師ランス(ロビン・ウイリアムズ)だが、15歳のひとり息子カイル(ダリル・サバラ)は思春期で、性に興味いっぱい。ランスは同僚の女性教師クレア(アレクシー・ギルモア)と夕食に行くが、それに同行したカイルはその夜、クレアの下着を盗撮した画像を見ながら“ひとりH”で窒息プレイに挑み、命を落とす。ランスはカイルが自殺したことにし、カイルが自殺に至るまでの日記をでっち上げるが、それが出版されるとマスコミも巻き込む大反響を呼び……。

前半は卑猥なエッチ単語と、ロビン演じるダメ親父っぷりがよく、後半の息子の死(窒息プレイという自慰行為の行き過ぎ、、)をダメ親父が利用してしまうという何とも、、、という話。でも、父親のランスも、息子のカイル(→演じているダリル・サバラって、スパイキッズの弟くんだよね。大きくなったなー)もこういう親子っているよね、という思わせるダメっぷりなので、思わず作品に引き込まれます。

ありがちな手だと、息子の自殺をでっち上げた父親に対して、怪しんではないかと勘ぐるキャラクターが出てくるというのがコメディの王道。でも、最後の最後までそういう展開にならない。果たして、この物語の結末は如何に、、

ネタバレになるかもしれないけど、最後のランスの言葉がすごくジーンとくるので、それだけ引用!!(英語は聞き取れないので、日本語訳でw)

”孤独のまま、死ぬことほど最悪なことはないと思っていた。でも、孤独を感じている奴らに囲まれながら生きていることのほうが最悪だ。”

ダサくても、素っ裸で生きる。その大切さが、この一言に集約されていますよね。

残念ながら日本ではWOWOWの放送しかなく、DVD化もされていないよう。いい映画なので、どこかでやってくれないかなーー。

1月 29

今、リンダ・グラッドンの「ワーク・シフト」を読んでいるんですが、関連した面白い記事を見つけたので紹介(「ワーク・シフト」はいずれ書評するけど、働き方を考えるすごく良い本です)。


Picasso, Kepler, and the Benefits of Being an Expert Generalist
by Art Markman

このArt Markmanという人は認知学者なのですが、従来のジェネラリストとは違う、エキスパート・ジェネラリストというものを定義しています。

ジェネラリストというと、専門性の高いスペシャリストの対となり、様々な分野に卓越していてソリューションを作ったり、マネジメントをする人というのが一般的でした。以前、Blogで「日本でジョブズが生まれない理由」という中で、日本をはじめとしたアジア圏ではHowからWhatへアプローチするのがうまいと書きましたが、それはそれぞれが高い専門性を持ちうる民族なのではないかと思うところが大きかったからです。でも、特にIT化が進んだ1990年代頃から、専門性だけではなく、幅広い視座に立てるジェネラリストの育成が急務と言われた時期もあります。それはやはりグローバルに世の中が動く中で、”1つ1つのモノ(モジュール)”ではなく、”全体のシステム”というシステムアプローチ視点に時代が変わっていったことが大きいと思うのです。

でも、今はグローバル+コスト低減も同時に起きて、単純なシステムは全て単価が安く構築できてしまっている(これがクラウド+アウトソース)。だから、時代はスペシャリスト指向に戻りつつあって、本当に手に職をつけないと生き残っていけないのです。これは中身は違うけど、中世のギルド制度みたいですよね。

それともう1つ「ワーク・シフト」の中で述べられているのが、”創造的な仕事”をする人も必要とされるということ。これが僕はジェネラリストの次の形、Markmanのいう”エキスパート・ジェネラリスト”ではないかと思うのです。

考えれば、いくら専門性が深まっていくとはいいつつも、システム設計のコストがどんどん下がろうとも、システム全体を設計する人は必要。ただ、従来のジェネラリストのように全体を設計・管理するだけでなく、そこに如何に”創造性”を出せるかということ。Markmanもピカソやケプラーの例を持ち出していますが、異なる分野を横断的にというよりは、全く異種である分野を結合的できるような発想力がエキスパート・ジェネラリストには求められるのかと思います。

創造力(アイディアを創発する)、企画力(実行プランを計画する)、実行力(実行する)、これがエキスパート・ジェネラリストの重要な三本柱。記事では創造力をつけるには、Openness to Experience(何事も経験すること)の必要性が説かれていますが、何事も文句を言わずやってみろ、感じてみろ、、というのが、創造力を身につける一番の近道ですよね。

関連記事: ぐだぐだ悩むのは時間の無駄だから、さっさと決めて先に進め:世渡りプロトコル:So-netブログ
関連記事: 完成させることがすべてだ!~DIYに学ぶ「スキル修得との向き合い方」 : ライフハッカー[日本版]

<追記>
LifeHackerに上記記事の日本語紹介がされていました。
: ひとつの専門性を極めるより幅広い知識があるほうが創造的になれる? : ライフハッカー[日本版]

1月 29

少し前からやっているDocomoの以下のCM、ご存知だろうか?

携帯電話の契約数がもはや日本の人口以上になっている昨今。通信キャリアが次に目指す戦略の中で、Docomoは他のキャリアに比べて一歩先んじている感じがする。

それは”自動車”が”郊外型の暮らし”を提供したように、”通信キャリア”がECをはじめとした”生活基盤”、次世代ライフ・イノベーションを提供するというものだ。もちろん今でのPCを使ったEC事業はAmazonにしろ、楽天にしろ、非常に盛んだ。そこにDocomoがdショッピングとして満を持して実現したい世界を、このCMは上手く表現していると思う。私たちの身近になった携帯電話を使った次世代生活。携帯電話自体は飽和状態に突入していく中で、こうしたサービス目線で開拓していこうというのはよい視点だと思う。

もちろん、単純にECをやればいいわけではなく、携帯電話料金と一括にできるとか、音声で気軽に入力できる(これは”しゃべってコンシェル”がかなり進化しているが)とか、そういうサービス諸技術の開発が今後も必要だ。単純に高速につながるとか、端末が魅力的だという時代は、そろそろ終わり、如何に通信で便利な世界を実現できるかというところに勝負が移ってきたのだ。

1月 27

”芸術は爆発だ!”で、僕らの世代は知っている岡本太郎氏の著作。僕も小さい頃はテレビで見たのを覚えているし、「太陽の塔」などで有名な芸術家ということも知っている。でも、ちょっと気取って、頭の切れている小柄な芸術家というイメージしかなかったのが、この本を読んで吹き飛んだ。それくらい強烈な一冊だったといってもいいと思った。

そもそも人間って何だろうか、、本を読んだ後の真っ先な感想はそれだった。この記事を書いている僕も人間であるはず。普通に寝て、食べて、仕事をする、そんな生き物なのだ。でも、岡本氏の言っている人間はもっと奥深い。というか、そもそも人間ってやつは動物であり、かつ想いや感情ってやつを爆発させることもできる、そう定義しているように感じるのだ。

そんな人間社会は、もともと個としての人間のあるべき姿とは真逆に発達してきた。科学が産業を興し、産業が経済を成長させた。科学ってやつは、論理や合理性というものを重んじる。そこには自然という脅威を如何に抑えこんで、人間が自然状態から脱して、よりよく生活しているようにしてきた。でも、氏は逆にそれが、人間の人間たるところを抑圧しているんだ、ダメにしているんだと声高に叫んでいるのだ。

人間って、考えれば考えるほど非合理な生き物だと思う。いくらメールやSNSが社会の基盤となっていっても、人と人をつなぐはずの言葉から、私たちはどれだけ相手を理解したといえるのだろうか。例えば、ラブレターを書くとき、そこに自分の本当の想いを載せられる人がどれだけいるだろうか、逆に、それを受け取った人が相手の想いをどれだけ感じとれているのだろうか(そういう意味では、こういう文章を書いている僕自身もいつももどかしいが)。。コミュニケーションというのはどこまで行っても完璧にはありえない、成功はありえない。それはそこにいる人間自身がそもそも非合理なんだから、成立するわけがないのだ。だからこそ、人間は非合理さがあることを受け入れた上で、自分が自分らしくあるために殻を破って生きていかなくてはならない。もちろん、それには社会からの抑圧も大きいだろう。感情爆発させる人に、社会はどこも冷たい。でも、人間は自分を破っていかないと、本当に生きてきたという心地はしないのではないかと思うのだ。

21世紀に入り、情報は確実に大量に、高速に世界中を駆けまわるようになった。それが新しい産業を生み、世界を小さくし、経済の構造も大きく変えていっている。でも、それに対して、人間は何百年、何千年と大きくは進化を遂げていないし、これからも大きくは変わらないと思う。だったら、もっと人間とは何かを理解することが必要なのではないだろうか。学校でのネットいじめに象徴されるように、情報だけで人間というものが大きく押しつぶされようとしている。テクノロジーの進化は止められないのなら、せめてそれを扱う私たち一人一人が少しでも変わっていかないといけないのだ。

1月 24

ホビット 思いがけない冒険

書評もブログに載せるようになったので、今年から映画評もKINE NOTEだけでなく、ブログに載せていこうと思います。(短い感想文もあるかもしれないですがw)

「ホビット 思いがけない冒険」を観ました。

評価:★★★★☆
→ちなみに、★は星1つ、☆は星半分、最高は★★★★★、最低は★です。これはHP時代からずっとこうw

IMAXの3D版にて。今年最初の一本。

壮大な指輪物語と違い、短い冒険劇である原作を指輪物語を織り交ぜて描く脚本構成力はなかなか。この”ホビット”シリーズに続く、「ロード・オブ・ザ・リング」に上手くつながるような構成になっている。「ロード〜」に出てきた主要キャラクターも、役者そのままに登場。フロドが少し大人びてたり、ガンダルフはちょっと年老いて見えたりはご愛嬌か。

映像としても、「ロード〜」より前の話だけど、着実にVFXとかが進化しているのが伺える(スター・ウォーズのEP4〜6と、EP1〜3までの酷い違いじゃないけどねw)。特に、ゴブリンたちの巣窟から抜け出すシーンは、「ロード〜」のモリアの坑道から抜け出すシーン(あちらも凄かったけど)と比較するとよく分かる。当時は、まだ暗闇でちゃちさをごまかす部分もあったけど、今回はゲームのキャラクターのように俯瞰で動かすのは圧巻だ。

お話としても、ビルボの立ち位置が主人公のようで、狂言回し的でもあるというのがいい。これで真の主役でもあるドワーフたちの物語がうまく引き立っているのだ。ただ、ガンダルフが必殺カードみたく使われる(ジョーカー役という評価もあったけどw)のは原作通りなんだろうけど、困ったらコレっという使われた方をするのは、お話として何だかなーと思ってしまう。。

「ロード・〜」のときは原作の指輪物語を2,3回読んでから鑑賞したけど、今回は映画の三部作が終わってから原作を読もうと思う。

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