1月 23
共感する力 ~カリスマ経営者が横浜市長になってわかったこと~ (ワニブックスPLUS新書)

共感する力 ~カリスマ経営者が横浜市長になってわかったこと~ (ワニブックスPLUS新書)

「共感する力 ~カリスマ経営者が横浜市長になってわかったこと」を読みました。

ダイエーCEO、日産自動車の執行役員などを経て、2009年に全国で仙台市に続いて2番目に女性市長(横浜市)になった林文子氏の著書。昨年の2013年に横浜市長として再選しているので、現役の市長さんの著作になっている。

本の前半は、横浜市という一地方自治体が、市役所改革や地域活性化をどのようにしてきたかに多くポイントを置いて書かれている。傍目から見ても、横浜という街は変わってきており、僕の印象では神奈川県と共同で健康増進などの取組みも独自にしており、今後の高齢化社会を見据えた都市づくりというのに着手しているという印象が強い。

ふとした瞬間に「あ、市役所にサービス精神が欠けているのは”営業部がない”からだ」と気づきました。(P.23)

学生時代から一人暮らしをしている自分としても、今までいろんなところに行って、そのたびに役所の手続きとかしてきました。市役所や町村役場に行くと、その街のカラーというのが分かって面白いかと思います。今、僕が住んでいるところは都内でもさすがお金持ちな区だけあって、市役所にコンセルジュみたいな人がずっと立っていて、こういうことがしたいという、こちらの意図をスムーズに読み取って窓口につないでくれたり、電話や手紙でのアフターサービスも細かくて感心したりします。横浜市を変えるために、まずは市役所から変えていくというのは、あながち間違っていないかなと思っています。

後半は横浜市の改革から、”人の意識を変えるために、、”というところから、部下を育てる理論というところに話が及びます。

相手への共感を続けていくと、その瞬間は相手に気持ちが伝わらなくても、時間の経過とともに大地に雨滴が浸透していくかのように、こちらの気持ちがじんわりと心に染みこんでいきます。そういった経験を重ね、相手の気持に寄り添うことが何よりも重要であることを肌で感じてきたので、私が管理職をしていた時代は、「部下とともに悩む」ということを日々心がけてきました。大所高所からものを言われると、下にいる人間では頭で理解したつもりでも、心のどこかに反感を抱いたままになってしまいます。(P.130)

「部下とともに悩む」って、簡単に書きますが結構難しいんですよね。僕の場合は、一緒に悩んで、自分で解決策(答え)を見つけてしますので、長期的に見ると部下を育てることにならないのかなと、いつも感じてしまいます。

私は相手がいい人であれ、嫌な人であれ、あるいは気の合う人であれ、気の合わない人であれ、一度自分の中に受け入れてしまいます。そうすると嫌なことをされたとしても、相手の立場になって物事を考えられるようになるのです。”辛抱”という文字は「辛さを抱く」と書きます。私もこれまでの仕事人生において、相当苦しい思いもし、その度に”辛抱”をしてきました。(中略)楽しいことも悲しいことも、うれしい事も辛いことも、すべてただ受け入れ、抱きしめる。そうすることで人生の味わいは、より深いものへと変化していくはずです。(P.141)

「辛さを抱く=辛抱」という表現が素晴らしいですね。人生というのは、いいことも悪いこともある。人が生きていくということは、そうしたいいことも悪いことも共有し合うことで、いいことを何倍にもし、悪いことをどう解決するかをとことん考え抜くことだと思います。何事も自分らしく、勇気をもって接していくこと。そんな当たり前のことに気づかされた本でした。

1月 17
独身・無職者のリアル (扶桑社新書)

独身・無職者のリアル (扶桑社新書)

「独身・無職者のリアル」を読みました。

国勢調査のデータを見てみると、2000年度の段階で三大都市圏(東京、名古屋、大阪)で人口の約1/4が住んでおり、年々その割合が大きくなってきている。特に、高齢者比率が高く、都市圏の利便性の高さから引退後に都市でという生活スタイルも増えているという。僕自身も地方出身だけど、年を取ってから無縁な都市に出てくるというのは不安ではないかといつも思う。FacebookなどのSNSも発達しているが、やはりリアルな縁というほど強いものはないからだ。

この本はそのことも踏まえ、社会に”縁”をつくることの大切さを説いていると思う。やはり、育ちとともにはぐくむ縁というのは重要で、昔は遠い親戚でも交流があった”血縁”があり、幼馴染や同級生、近所の人などの”地縁”がある。それが大学や社会人になるとともに、都会に出てきて、周りの縁が日常いつも会う人(本の中では”社縁”としている)になる。こうした”縁”は時代とともに変遷してはきているものの、社会のベースになり、人の生きるベースにもなってきている。

ただ、格差社会などで多くの人が就職難となり、都市に出てきても”社縁”を作れない人も多くなってきている。都市部では地域でも交流があるわけでもなく、独身世帯の増加によって、家庭とのつながりもなくなってくる(”血縁”も、”社縁”もなくなってくる)。こうした人にとって、孤独死は対岸の火事的な問題ではないのだ。

そうした縁がなくなった社会にとって、例えば、引きこもりや心の病などで関係を作れなくなった人は、もう絶望するしかないのだろうか。筆者は”縁”の源泉になるのは何なのかということから詳しく分析している。

真の優しさや温かさから得られる安心は、新たなエネルギーを生み出す力になります。そこから生まれるエネルギーは、社会から抹消されてしまいそうになる不安さえも消してしまい、もう一度生きようという希望につながるかもしれません。人が不安のどん底にもがきなら必死に求め続けるものの正体は、きっと「安心」なのだと私は思います。その安心が少しずつ充電されていくことで、生きる希望につながってきます。 (P.94)

この「安心」を享受できる。これは普段、私たちが盲目的になっている、人に対する愛なのではないかと思うのです。

「家族」があって、生きていくために必要な経済力を生み出す「仕事」がある。そこには、多くの時間や達成感を共有する「仲間」がいます。さらに、いつも他愛のない話をしながら、どんなときでも自分を理解して励ましてくれる「友人」たち。人はそういったものでバランスをとって、安心感を得て生きているのです。(P.98)

僕もそうですが、そうはいっても人とうまく関れない人というのはいるものです。そういう人は(ナルシストとなる危険はあるけど(笑))徹底的に自分を愛してしまえばいいのではないかと思うのです。

たとえ二度と立ち上がれないと思っても自分を否定し続けないことです。一生懸命生きてきた自分を褒め、この自分でいいんだと強く言い聞かせ、自分にオーケーを出してやればいいのです。それが自己肯定感です。これがあれば人は何度でも立ち上がれるのです。(P.99)

僕も客観的に見れば、いつでも自分をダメ出ししたいと思ってしまうけど、そうしたら人生は楽しく生きられない。そこは「自己を肯定する力」が、実は生きていく力になると思います。すごく嫌だったら思い切って逃げ出してもいいと思います。社会は大海原みたいなもの。どこかに今のあなたを信じてくれる人が必ずいると僕は思います。

人生にはどんなに頑張っても思い通りにならない、そんなことの連続です。時にはへこたれそうになり、泣き出しそうになり、逃げ出したくなるときもあります。そんなときは少し休んだら、無理矢理でも別の世界に飛び込んでみる勇気が欲しいです。そこには、確実に新しい世界が待っています。そこから始まる単調な日常に身を任せているうちに、こだわりから解放されていくこともあるからです。(P.101)

独身・孤立者のリアルドキュメンタリーに留まらず、いろんな生き方のアドバイスをしてくれる素敵な本です。自己啓発としてもとってもオススメな書籍になっています。

1月 10
データ・サイエンティストに学ぶ「分析力」

データ・サイエンティストに学ぶ「分析力」

昨年(2013年)の2月にハーバード・ビジネス・レビューにて、”データ・サイエンティストほど素敵な商売はない”と魅力的な仕事ということで紹介されてから、「ビックデータ分析」、「データ・サイエンティスト」というのが、IT業界のバズワードとして人気を博してきた(最近は少し落ち着いてきた感がありますが)。インターネットを中心にIT業界が活性化し、PCの高性能化はもとい、手持ちのモバイル端末でも高品位の処理が可能になってきた。LTEで通信も高速になり、ストレージも大容量化の時代、情報の通信&蓄積は技術革新とともに安価にもなりつつあります。

これだけ分析ブームでもありますが、ITの世界でももともとデータアナリストとか、システムアナリストと呼ばれる人は結構いたと思います。前者は広告や商品の効果測定とするリサーチ会社のイメージだし、後者はSIをする中でのコンサルタント的な立場で業務の分析などをしていたイメージです。その中で、”データ・サイエンティスト”が職業として出てきたのはなぜなのか? まず、この「データ・サイエンティストに学ぶ「分析力」」では、そもそもサイエンティスト=(科学者)とつけるだけに、従来のアナリスト=(分析者)とは違う、「分析力」とは何なのかという言及があります。

大量のデータが生み出される現代社会で、アナリティクスとプランニングの融合がいかに強力な存在となるかを示しているのである。(P.106)

アナリストが単純な分析しかしないのに対し、「分析力」がある本当のサイエンティストとは、そこからプランニング(計画)が導かれる人だと定義をしています。

じゃあ、それを実際にどのようなプロセスで行えばいいのかについては、SMARTな目標設定というのが述べられます。

(SMARTな目標設定とは、)・具体的(Spectific):目標は、達成しようと思っているものを明確かつ具体的に述べなければならない。・測定可能(Measurable):目標に到達しつつあるのか、そうでないのか、追跡できなければならない。・達成可能(Achievable):現在の延長線上で達成できなければならない。・現実的(Realistic):今手元にあるリソースで本当に達成できるものでなければならない。・時間設定(Timebased):目標をいつ達成するのかという基準がなければならない。(P.240)

その例の1つとして、有名なUPS(運送会社)の例が述べられます。

UPSは業務オペレーションの優位性の上に成り立っている企業である。彼らはあらゆる業務を最適化しているのだ。例えばUPSのトラックは、ほとんど左折をしない。左折するときに発生する待ち時間を回避することで、毎年数百万ドルのコストを削減できるという計算結果が出たことから、左折をするのはそれ以外に選択肢がない場合にのみとしたのである。 (P.268)

分析をするだけではなく、それを実施することで何か変わるのか。そして変えたことでの変化量を常に計測することで、継続的な業務変革につなげていく。まさにプロセスを提案するだけではなく(ここまでだとサイエンティスト止まり)、プロセスを変革していくイノベータにならないと意味がないのかなと思います。

データの取り扱い方もそうですが、単純に数字や文字の並びを分析するだけでなく、その裏にどのような現象が潜んでいるかを知るというのは、僕自身、学生時代の卒業研究でやっていた材料研究やプラズマの物性研究に近いなと感じました。データとしては確かに数値で上がってくるんだけど、それは計測誤差なのか、想定している現象の外からくる雑音なのか、そもそもの想定とは全く違う現象がそこで起こっているのか、、数字1つでも正しさをとことん考え抜く、それが単に数字を整理するだけのアナリストと、複数要因を想定する「分析力」を持ったサイエンティストの違いなのだと思います。

最強のスキル「統計学」 必須のツール「ビッグデータ」 (別冊宝島 2056)

最強のスキル「統計学」 必須のツール「ビッグデータ」 (別冊宝島 2056)

このMOOC本は楽天やCCCなどの実サービスの裏側まで丹念に比較してあり、実例(現象)が多く載っているので、どういうところに使われているのを知りたい方はオススメです。

1月 09
著者 : 真山仁
講談社
発売日 : 2013-10-30

映画ストックが久しぶりに尽きたので、こちらも溜まっている本のレビューを久々にしたいと思います。

真山仁の昨年(2013年)に出版された最新作「グリード」を読みました。

真山仁といえば、映画やTVドラマにもなったハゲタカシリーズが有名。天才投資家・鷲津政彦が企業のバイアウト<買収>を仕掛ける経済ミステリー。経済もので、なぜミステリーと銘打つかは一連のシリーズを読んでもらえれば(もしくはTVドラマと映画化されている「ハゲタカ」シリーズを観てもらえれば)分かりますが、単純に買い叩くだけではなく、企業も血の通った人間が事業を起こしてやるもの。売上や利益というのはもちろんなんですが、企業が作りだす文化や産業構造、従業員の夢・生活も含めて、買った買われたでは括れない人間ドラマが詰っている。「ハゲタカ」シリーズはそうした経済と人とをうまくつないだ作品として、とても面白いと感じています。

今回、鷲津が現れたのはリーマンショック直前の2007年アメリカ。サブプライムローン債から生み出された複雑な金融商品は投資会社に大きな利益をもたらしていたが、足元ではローン返済に苦しみ、破産を余儀なくされている多くのアメリカ人たちがいた。強欲(グリード)に魅せられた金融トップ界とは裏腹に、足元の現実が徐々に金融商品の崩壊と企業破産の連鎖という暗雲こめた未来が待っているのだった。鷲津はそんなアメリカ崩壊となる中で、どんな一手を繰り出そうとしているのか。。

シリーズの最初は1990年後半のバブル崩壊によって苦しんだ日本企業の再生というところから始まりました。不況にあえぐ社会情勢とは別に、今は名前を聞くと懐かしく感じる”村上ファンド”などのような新進気鋭の投資ファンドが、いわゆる”モノ言う株主”として多くの企業を買収<バイアウト>していく中で、それを模した本シリーズが出てきたように思います。翻って、今はアベノミクスによる好景気で、不況という言葉はどこ知らずという感覚に我々は陥っています。でも、原発問題や未だに低い雇用・就職率など足元を見ると、やはり経済情勢はいつ危機に陥るか(バブル崩壊なんか一気でしたからね)分かりません。経済が崩壊し、企業が危機に陥ると、一番困るのがそこにいる人たちの生活。基本はエンターテイメント小説ながらも、資本主義社会で、経済の下に生きることを余儀なくしている私たちにとって、こういう現実はいつ起こっても不思議でないと感じずにはいられません。

それでもミステリーながら、そこに生きる人間性というところに追求する姿勢はいい作品だなと思わされます。最後の最後で鷲津の狙いが分かり、それが冒頭に戻ってくるという構成もいいな。鷲津さん、やっぱりカッコよすぎます。

著者 : 真山仁
講談社
発売日 : 2013-10-30
8月 19

 現代社会はよくコミュニティ中心社会に移行しているといわれる。TwitterやFacebookの登場に端を発し、特にインターネットのような安価で各個人で発信できるメディアインフラが整っている時代では、細かく見ると追えないくらいにソーシャルサービスが各所で立ちあがっているのだ。そんなコミュニティが重要視されている時代で僕が不安に感じているのは、そこに参加する各個人がどのような意思や考え方をもって参加するのか、よほどしっかりした個人でないとダメなのではないかということだ。そんな人格不安に陥る人は結構いるのではないかと思うのだ。

 でも、ここでいう個人という考え方にフォーカスすると、よりよい個人とはキャラクターがはっきりとしていて、どんな人にあたっても首尾一貫している人のことだと思う。人によって性格が変わる人というのは、古い考えからみれば軽薄な人と捉えられることだろう。しかし、著者が指摘するのは、つながりが重要視されている時代において、その関係をつくっていくことに全てのベースがあるのではないかという問いかけである。それが「分人」という、人によって複数の人格をつくっていくということだろう。

私たちは、極自然に、相手の個性との間に調和を見出そうとし、コミュニケーション可能な人格をその都度生じさせ、その人格を現に生きている。それは厳然たる事実だ。なぜなら、コミュニケーションが成立すると、単純にうれしいからである。

 コミュニケーションを成功させる、人と心を通わせることは嬉しい。無論、人の意思というのは貫かれるべきものだろうだが、今後は組織・社会の中で如何に立ちふるまえるかというところに人の評価ポイントが出てくるように思う。だからこそ、人によって人格が変わってもいいのだという哲学的な許しは、現代社会には必要なことだと思うのだ。

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