12月 19

パパが遺した物語

「パパが遺した物語」を観ました。

評価:★★

「幸せのちから」で父親の息子への愛を描いたガブリエレ・ムッチーノ監督による、父親の娘への愛を描いた作品。ポスターを観る限り、父親と7歳の娘との交流劇が中心で、それこそ「幸せのちから」のような形の作品になるかと思いましたが、これが意外や意外に大人のエッセンスを感じる作品となっていました。成長した娘を「レ・ミゼラブル」のアマンダ・サイフリッドが演じており、成長した娘を中心とした回想録という形で進んでいくのです。全体を通して、確かに父親と娘の物語ではあるのですが、7歳の娘との交流となるのは物語の半分くらいで、作品の重心はどちらかというとアマンダ・サイフリッド演じる現在のケイティのほうにあるので、少し映画の宣伝方法に問題があるなーと感じてしまいました。

映画としては大人になって、毎日の生活にも張りが出ないケイティが、偶然に父親ジェイクの小説を愛する小説家志望のキャメロンと出会うところから物語が転がっていきます。映画序盤から、娘の回顧録の中で父親ジェイクが描かれていく。じゃあ、今のジェイクはどうなっているのか? ケイティが父親に対して、向き合えないところにはどんな過去が存在していたか? というところはラストまで明かさずに、物語は現代と過去とを交差していく形で進んでいきます。過去を振り返る回想録形式になっているところに違和感は感じませんが、現在と過去のエピソードがとても現実的すぎて、何かしら映画に感情移入できるような余地を与えないのです。父親ジェイクが小説家であり、彼の描いていく物語の中でファンタジックな要素を醸しだすのかと思いきや、彼が書いた作品も結構地に足がついた現実作。映画自身にマジックがかかる要素がなく、終盤まで行ってしまっている感しかありません。

それに父親ジェイクを演じるラッセル・クロウの名演ぶりが、この現実っぽい話にすごいリアリティを与えてしまい、逆にマイナスの効果を生んでいると思います。同じラッセル主演でアカデミー賞作品の名作「ビューティフル・マインド」では、彼の熱演が物語のもつファンタジックな愛の要素の一面とうまく対比できていたのとは、真逆の効果が本作では出てしまっていると感じました。アマンダ・サイフリッドが演じる現在のケイティとキャメロンの恋物語がうまくまとまっているだけに、そこにうまく他のエピソードが絡めなかったような印象が最後まで拭えませんでした。全体的には悪くはない作品なんですけどね。。

次回レビュー予定は、「ガンバ GAMBAと仲間たち」です。

12月 18

ファンタスティック・フォー

「ファンタスティック・フォー」を観ました。

評価:★

マーヴェル・コミックの人気ヒーローものの映画化作品。マーヴェルといえば、「アイアンマン」や「キャプテン・アメリカ」、そしてヒーロー大集合の「アベンジャーズ」シリーズなど、ディズニーと組んで、マーヴェルヒーローを中心とした”アベンジャーズ”伝説をつくりあげようとしていますが(近作の「アントマン」も然り)、本作に関しては、版権の関係からディズニーではなく、20世紀フォックスでの製作・配給となっているため、”アベンジャーズ”伝説には組み込まれない作品となります(この辺りの駆け引きは、「スター・ウォーズ」までそうですね(笑))。また同じ20世紀フォックスで、2005年に「ファンタスティック・フォー 超能力ユニット」、2007年に2作目の「ファンタスティック・フォー 銀河の危機」が公開(どちらも監督は「TAXY NY」のティム・ストーリー)されており、本作は違うキャスト、違うスタッフ陣で作られたリブート作品ということになります。

そんなリブート作品となる本作。物語の内容は2005年の作品と同じ、いかに超能力ユニットとなる4人が誕生したかという誕生秘話となるのですが、話の中身は全然違います。2005年公開作品は、科学者でもある主人公リードが後に敵となるヴィクターの研究所で行った壮大な宇宙実験中での事故という設定でしたが、本作はリード自身が7歳の科学少年だったという描写から始まり、学生となったリードがバクスター財団という資金力のある研究所から支援を受け、同じ学生研究員としてライバルとなるヴィクターが入ってくる(事故で超能力を得るという設定は同じですが)という設定に大胆に変わっています。すでに大人に成長したメンバーが授かる超能力といった2005年作品は、事故そのものよりも、与えられた能力を使って、ヒーローとして世の中に貢献していくかというヒーローモノの視点にすぐ移っていくのに対し、本作は変な青春劇を入れることによって、ヒーローものではない、大人への成長や友情ということがドラマの主軸に盛り込まれます。それはそれで物語として面白いものだとは思うのですが、序盤に提示されるいろいろな設定が昇華されないまま、いきなりヴィクターとの決戦場面まで話が進んでしまうのです。これは中盤以降にもう少し何かドラマが盛り込まれる予定だったものが、尺の関係か(何かの政治的な圧力か)、ごっそり抜け落ちているのです。この核となる部分が全く無いので、映画としてもとても消化不良な作品になっていると思います。

監督は「クロニクル」で世間を驚かせたジョシュ・トランク。彼が脚本も担当しているのですが、併記されているメンバーもかなりいるので、監督の理想とは別に脚本がリライトされているように思えてなりません。明るい雰囲気で進む2005年版を僕は結構好きだし、トランク監督の「クロニクル」も凄い作品なので、本作はすごく期待をしていたのですが、その期待が裏切られた分だけ評価も低く付けざるを得ません。序盤をしっかり描いているし、アクションの迫力もあるので、尺を長くするか、前後編の2作構成にして、じっくりとした作品作りを期待したかったところです。中身が薄いので、壮大な作品の序章と位置づけるくらいの作品にはなるかと思いますが、あまりヒットしていないので、このリブート作品でシリーズ化していくのは難しそうですけどね。

次回レビュー予定は、「パパが遺した物語」です。

12月 13

シャーリー&ヒンダ

「シャーリー&ヒンダ ウォール街を出禁になった2人」を観ました。

評価:★★

世界経済があえいでいる。日本国内の消費を見ても、経済成長は一巡し、誰しもが必要なものを手に入れている時代。政府でさえも、「1億人総活躍時代」とか、「少量多品種の需要要求に応える」などと打ち出している。これは裏を返せば、少子高齢化で人口が減少し、製品を作っても売れない、ならばサービス業を中心に個人によりフィットした需要に応えられる産業を振興し、年金財政は底をついているので、65歳以上でも死ぬまで元気に働かないと社会として成り立っていかないことを示しているのです。これは何も日本だけではなく、先進国はどこも人口減少に転じ、同じような道筋をたどることは然り。新興国でも中国経済が先細り感がでてきており、それによって先日のような急激な経済空転が起こるなど世界経済はもはや瀕死の状態といっていいのかもしれません。しかし、どこの政府も、金融機関も同じように今後の経済成長を謳っている。本当に、それでいいのか。本作は、そんな素朴な疑問を持ったアメリカ・シアトルに住むアラナイ(90代)の女性2人を追ったドキュメンタリーとなっています。

こと経済の専門家ではないので詳しいことは差し控えますが、30代の大人になった今、子どものときに感じた輝かしい未来というのに今もなっていないですし、今後死ぬまでにそういう世界になるようには思えません。それより、いつも憂慮しているのは、今の子どもに僕たち世代で何が残せるのだろうということです。確かに僕たちの子ども時代に比べ、ゲーム機も高性能になったし、電気で動く車が出てきたし、携帯網が発達して、世界中のどこでもインターネットでつながり、世界をまたにかけて仕事をしたり、どこでも映画を見れたり、本を読めたり、役所の届け出やスーパーの買い物なども自宅にいながらできるような時代になっています。でも、街中にロボット(人型などの分かり易いもの)は溢れていないし、飛行機にしろ、新幹線にしろ、乗りやすくはなったものの速さは驚くほど変わっていない。宇宙開発は何だか後退気味だし、病院にいってもすぐ治るような特効薬や治療法があるわけでもない。そんなの一喜一憂に進むわけではないのですが、残念なのは、小さい頃にはあった”夢の様な未来像を実現しそうな空気感”が、今の時代には感じられないことなのです。

しかし、経済成長は今後も続くという。こんな世の中に、どこに成長する空気にしろ、産業にしろあるのだというのでしょう。本作の主人公シャーリーとヒンダは、子どもたちや孫の世代、そして何よりも自分たちが残り短い余生の中で少しでも安心して生きたいと立ち上がります。そういう問題意識はお年寄りであっても大事だし、むしろそうした社会参画を、世の中は積極的に進めないといけない。だからといって彼女たちが訴えるようなサステイナブルな(持続的な)社会がいいかというと、そこはボクの意見とは相反しないところはあるのですが、彼女たちの問題意識は至極もっともだし、副題にあるように彼女たちの意見どころか、意見を言わせないような(出禁にしてしまう)金融界のドンたちも、何か自分たちの意見に不都合があるような裏の気配さえ感じてしまいます。

映画作品としてはすごく真っ当なストレートなつくり方をしてある分だけ、予告編で感じたようなドキドキ感がないのが残念なところ。それにしても、ニューヨークまで乗り込んでいく彼女たちの元気パワーには頭が下がります。日本でも、こういう元気なお年寄りが停滞している社会にカツを入れて欲しいなと思います。

次回レビュー予定は、「ファンタスティック・フォー」です。

12月 12

バクマン。

「バクマン。」を観ました。

評価:★★★★★

「DATH NOTE デスノート」で知られる原作者(大場つぐみ&小畑健)の同名コミックを、「モテキ」の大根仁監督が映画化した作品。「モテキ」もラブコメディ映画としては新鮮な視点が溢れた意欲作品でしたが、本作は映画の新しいスタイルを確立したのではないかという革新的な青春映画になっていると思います。原作自体がコミックを舞台にしていて、そのコミックが取り上げているのも漫画家という劇中劇ならぬ、コミック中コミックみたいな作品なのですが、だったら全体的な雰囲気もコミック化にしようとしているところが新鮮。こんなの通常はいないだろうと思えるキャラクターも、とことんデフォルメ化することで、漫画感をリアルに映像にしているところがなかなかだと思います。演出もところん漫画風。映画を見ていても、まるで映像化されたコミックを読んでいるような面白さを味わうことができるのです。

それに本作(これは原作の持ち味かもしれないですが)が持っている良さというのが、漫画家がリアルな漫画家像を描いているところでしょう。この手で有名なのが、多くの漫画家を排出し、その排出された漫画家の手で書かれた「トキワ荘物語」。でも、これはまさに昭和を地で行く、売れない、けど漫画を愛する漫画家たちが集う場を描いた作品でした。本作も、漫画家同士がタッグを組んで協力していくシーンがあるのですが、そういう昭和感を出すのは一部のみ。昭和の後半から売れ始めているといっても、まさに平成の世でも漫画の王道を行っている「週刊少年ジャンプ」を目指す若い漫画たちを描いているので、今の世代の漫画道を画いた作品ともいえるかもしれません。

あと、作画がストーリー原案が分かれている漫画家像の実体を垣間見えるのも、知らない世界を覗き見れたようで楽しい。これは原作の漫画を書いた2人(大場つぐみ:原作、小畑健:作画)の構成をリアルに出しているものと思います。あと、亀梨和也のはじけっぷりがいいですね。神木隆之介のほうは本作の役柄がなんとなく「桐島、部活やめるってよ」に何となく似ているので新鮮味が無いですが、どちらかといえば俳優というよりも、アイドル色が強かった亀梨くんが本作では、カッコよさではなく、ダサさな中に秘めるカッコよさがある真城最高(→これもすごい名前だな笑)を好演していると思います。とことん隅から隅まで漫画愛に溢れた映像作品。これは今年の邦画の中でも必見な作品になっています。

次回レビュー予定は、「シャーリー&ヒンダ ウォール街を出禁になった2人」です。

12月 11

あの日のように抱きしめて

「あの日のように抱きしめて」を観ました。

評価:★★☆

”未練がましい”という言葉があるが、まさに本作は、その”未練がましさ”を描いた作品。第二次世界大戦下のドイツ、ナチスによって収容所に収監されていたユダヤ人女性が戦後開放されるものの、収容所で受けた虐待のせいで必死の形成術も実らず、容姿が大きく変わってしまった。戦後は落ち着いた生活を送ろうと思っていた矢先、戦時下の混乱で離れてしまった夫と偶然再会するが、夫が彼女が妻だと分からなかった。。

本作では夫が妻を認識できないという問題の他に、妻がユダヤ人であるために、夫が妻をナチスに引き渡したのではないか、、という1つの疑念が物語上定義されます。もし、これが事実なら妻は夫を許せないはず。しかし、妻が夫を思う気持ちはそれ以上で、たとえ、夫が妻としてではなく、全く違う女性と認識しても、妻は夫にとことん寄り添っていくのです。

誰しにも人生の中で想いを持っていたのに告白できなかったとか、叶わぬ恋に挑戦したという過去のわだかまりを多少なりとも持っているもの。大抵の人は、過去は過去と捉えて前に前進するし、相手が自分に対して何らかの酷いことをしたり、裏切った場合は好きだからこそ相手を絶対に許せないと僕なら思ってしまう。しかし、本作の主人公ネリーは愛する夫といた一時(ひととき)を追い求め、妻とは別の女性と認識されてでも、夫ジョニーについていく。そこにジョニーから提案されたのは、妻の財産を山分けにするために、亡くなった(と思っている)妻を演じてくれというもの。これこそ酷いの極みなのだが、ネリーが抱えた”未練がましさ”はそれをも受け入れてしまうのです。

そもそも、こうした悲劇は戦争が起こらなければおきなかったこと。しかし、ちょうど1つ前に書いた「顔のないヒトラーたち」の感想でも触れましたが、起きてしまった戦争という異常下の中でも、如何に人間らしく理性を保って生きていくのかという重要性は本作でも触れられていると思います。亡き妻を演じる妻ネリーの抱えた苦しみ、未練がましさは、ラストの歌で見事に昇華されていくのです。

次回レビュー予定は、「バクマン。」です。

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